スドー ちょこっとクリアフィーダー 3個入り

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アジアンカフェをよろしく!

旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
2021年10月 ≪  123456789101112131415161718192021222324252627282930 ≫ 2021年12月

スドー ちょこっとクリアフィーダー 3個入り

(1)フライト一覧(航空料金)

【フライト一覧】

 ①10月04日/エアアジア   D7523  羽田 23:45 → クアラルンプル +5:55  23,900円(①+②)
 ②10月05日/エアアジア   AK47  クアラルンプル 20:55 → コロンボ 21:55 
 ③10月06日/エアアラビア  G9504 コロンボ 3:50  → シャルジャ   6:45    20,009円(③+④)
 ④10月06日/エアアラビア  G9337 シャルジャ  8:15 →  アンマン  10:25 
 ⑤10月20日/ペガサスエアライン  PC784 ベングリオン 15:15 → サビハ・ギョクチェン 17:30 28,516円 (⑤+⑥) 
 ⑥10月20日/ペガサスエアライン   PC862 サビハ・ギョクチェン 21:35 → ベイルート   23:25 
 ⑦10月26日/カタール航空  QR419 ベイルート 1:35 → ドーハ 5:35     26,778円(⑦+⑧)
 ⑧10月26日/カタール航空  QR452 ドーハ  8:00 →  エルビル  10:35  
 ⑨10月30日/フライドバイ   FZ202 エルビル 10:40 →  ドバイ(T2)  14:45    25,267円    
 ⑩10月30日/セブパシフィック 5J015  ドバイ(T1) 23:30 → マニラ(T3)  +12:25  16,608円
 ⑪11月01日/セブパシフィック 5J851  マニラ(T3)  5:35 → サンボアンガ   7:25   6,104円
 ⑫11月16日/セブパシフィック 5J5054 マニラ(T3)   6:15 → 成田  11:35        11,564円      

                                           合計  158,836円

  ↑⑪はフィリピン国内線

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【航空券の購入先】

 ①②   → □ エアアジアX  
 ③④  →   △ kiwi.com    
 ⑤⑥⑦⑧→   △ Mytrip.com  
 ⑨    → □ フライドバイ  
 ⑩⑪⑫  → △ trip.com    

   □印は航空会社
   △印は旅行会社

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(2)綱渡りの出入国【イスラエル→(トルコ)→レバノン→イラク】

 kiwi.comのチケットは3枚あった。1枚目はコロンボ・シャルジャ間、2枚目はシャルジャ・アンマン間、3枚目は1枚目と2枚目をまとめたもの(2区間分)である。

 Mytrip.comで購入したチケットは1枚に2区間がまとめられたものだけだった。ベングリオン(イスラエル)・サビハ・ギョクチェン(トルコ)間とサビハ・ギョクチェン・ベイルート(レバノン)間が1枚におさまっていた。2区間が1枚にまとまっているのはノーマルなのであるが、内容は「イスラエル発(トルコ経由)レバノン行き」である。購入した私が書くのも何であるが、こういうチケットが存在してよいのか!

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 2018年10月現在、イスラエルとレバノンの陸路国境はふさがっている。両国間に国交はないのだから当たり前である。チケットが1枚であるということは航空会社がその移動を認めていることになるわけだが、一方で、チェックインカウンターとイミグレーションでそのチケットを持つ私がどういう扱い方をされるかはわからない。つまり無事出入国できるかどうかがわからない。

 もっともパスポート番号とフライトはリンクされているので、航空会社のチェックインカウンターでチケットはほとんど用を成さない。

 ヨルダンからイスラエルへの陸路国境越え(キングフセイン橋)では「別室ではない場所で待機」になったが、あらかじめ情報に接していたので、想定内だったといっていい。

 しかし[イスラエル→(トルコ)→レバノン→イラク]の空路出入国で、どういう扱いをされるかを想定することはできなかった。

 案の定、下の3ヶ所で引っ掛かった。

 (A)ベングリオン空港(イスラエル) 出国時のチェックインカウンター
 (B)ベイルート空港(レバノン)   入国時の税関
 (C)ベイルート空港         出国時のチェックインカウンター


(A)ベングリオン空港(イスラエル)出国時のチェックインカウンター
(C)ベイルート空港(レバノン)  出国時のチェックインカウンター

 (A)と(C)で航空会社のチェックインカウンターはまったく同じ動きをした。私の航空券を見たスタッフが上司に相談し、上司は別の誰かに電話をした。さらに別のスタッフが私に日本までのチケットを要求してきた。(C)ベイルートのチェックインカウンターはあまりに見事に(A)テルアビブのチェックインカウンターの対応を再現した。(A)は10月20日、(C)は10月25日の旅日記に詳述している。

 (A)ベングリオン空港ではこの面倒くさい客をスルーしてしまうことに決めたようだった。トルコ経由で国交のない敵国レバノンに向かう私をイスラエルは出国させた。面倒くさい質問がきたら「トルコに入国してからレバノンに行く」と言うつもりでいた。断固としてトルコ行きであることを主張する以外に手段はない(そうなると搭乗券を2枚もらえない)。

 (A)ベングリオン空港の経験は役に立った。(C)ベイルート空港のチェックインカウンターでは緊張しなかった。


(B)ベイルート空港(レバノン)入国時の税関

 パスポートにイスラエルのスタンプがある乗客を入国させない。それはベイルートを攻撃されたレバノンの決意である。しかし今、イスラエル入国にあたってスタンプは押されない。

 その代わりにイスラエルの入出国で4種類のものをもらった。

 (a)入国許可証
 (b)出国許可証
 (c)入国時にパスポートに貼られたシール
 (d)出国時にパスポートに貼られたシール

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 イスラエルを出国したあとで、(c)と(d)の「パスポートに貼られたシール」をパスポートからはがした。(a)「入国許可証」と(b)「出国許可証」は別紙である。(a)(b) (c)(d)の全部をリュックの底に隠した。パスポートを見ただけではイスラエルにいたことは証明できない。

 しかし、これでよし、とはならなかった。飛行機(ペガサスエアラインPC862)のなかで配られたレバノンの入国カードに「Coming from」の欄があった。「トルコ」(飛行機の経由地)と記入した。

 レバノンのイミグレーションでは「どこから来たのか?」と質問された。「トルコ」と答えたらパスできた。

 ほっとした。税関を通過しようとした。

 税関で同じ質問をされるとは思わなかった。また「どこから来たのか?」と質問された。

 「トルコ」と答えたら、「その前は?」と聞かれたので「日本」と答えた。鋭すぎる質問に危険極まりない回答をしてしまった。

 日本→マレーシア→スリランカ→(UAE)→ヨルダン→イスラエル→(トルコ)→レバノンを移動してきた(UAE、トルコには入国していない)。日本は、すごろくの振出しの地である。まったく出鱈目ではないけれど、真摯な回答とはいえない。「マレーシア→スリランカ→(UAE)→ヨルダン→イスラエル」を削除している。

 しかし都合のよい事実をうまく切り取らないとやっかいなことになるので仕方がない。真摯な回答はエルサレムに置いてきた。正確にいうならトルコには入国していないので、辻褄は合っていない。税関スタッフがパスポートをチェックし始めれば、2014年のトルコ入国と出国のスタンプにたどり着くだろう。

 トルコの前に滞在したのは「イスラエル」であると答えたらレッドカードで即退場ある。チケットを見せろと言われても、終わりである。Mytrip.comで購入したチケットは1枚に2区間がまとめられた、あってはならない「イスラエルから(トルコ経由)レバノン行き」である。

 レッドカードの場合、レバノンを出る航空券を買わされ、放り出される。しかし次の行き先はカタール経由のイラクである。やっかいの上にやっかいが被さってくる。

 「トルコの前は日本」と答えた「嘘」を税関スタッフは見破ったかもしれない。しかし、レバノン空港に到着する乗客はイスラエルに行っていないことになっている。パスポートに存在しないイスラエルの傷痕をわざわざあぶりだすのは面倒な仕事を増やすだけである、と解釈したのかもしれない。

 私はあっさり告白してやるつもりはないが、物証はすべてを語る。パスポートのスタンプの日付けを辿る、あるいはチケットを没収されれば終わりである。チケットを求められた場合、持っていないと答えたら、どうなるのだろう。ここからの推測は意味がない、そうならなかったのだから。


(3)宿泊について

(a)宿泊ホテル一覧

  1日目/10月04日 機内泊(エアアジアD7523)         
  2日目/10月05日 機内泊(エアアラビアG9504)          
  3日目/10月06日 アカバ      シービーチホテル      2,657円×1泊(シングル)
  4日目/10月07日 ワデイムーサ  ペトラゲートホテル       1,435円×2泊(ドミトリー)
  5日目/10月08日 ワデイムーサ       〃
  6日目/10月09日 アンマン    ノーベルホテル          1,837円×3泊(シングル/朝食付) 
  7日目/10月10日 アンマン         〃
  8日目/10月11日 アンマン         〃
  9日目/10月12日 エルサレム   ステイインホステル      2,490円×3泊(ドミトリー) 
 10日目/10月13日 エルサレム        〃
 11日目/10月14日 エルサレム        〃
 12日目/10月15日 ハイファ    ジャーマンコロニーゲストハウス2,655円×2泊(シングル) 
 13日目/10月16日 ハイファ         〃
 14日目/10月17日 アッコー      エコ・アッコー       3,228円×1泊(ドミトリー) 
 15日目/10月18日 テルアビブ    ハイアーコン48ホステル    2,664円×2泊(ドミトリー/朝食付)
 16日目/10月19日 テルアビブ        〃
 17日目/10月20日 空港泊(ベイルート・ラフィク・ハリリ国際空港)  
 18日目/10月21日 ベイルート    エンバシーホテル       3,076円×1泊(シングル)
 19日目/10月22日 トリポリ     ホテル・コウラ       3,369円×1泊(シングル/朝食付)
 20日目/10月23日  ベイルート    タラルホテル        1,741円×2泊(ドミトリー)
 21日目/10月24日 ベイルート        〃
 22日目/10月25日 機内泊(カタール航空/QR419/ QR452)
 23日目/10月26日 エルビル      ローガルホテル       3,654円×4泊(トリプル/朝食付)
 24日目/10月27日 エルビル          〃
 25日目/10月28日 エルビル         〃
 26日目/10月29日 エルビル         〃
 27日目/10月30日 機内泊(セブパシフィック5J015)         
 28日目/10月31日 二ノイアキノ空港   ザ・ウィングス         2,100円×1泊(カプセル7.5時間) 
 29日目/11月01日 サンボアンガ    ウィンセルスイーツ      2,489円×1泊(シングル)
 30日目/11月02日 デイプログ     GVホテル          1,518円×1泊(シングル)
 31日目/11月03日 イリガン      コジィイン        2,319円×1泊(ダブル)
 32日目/11月04日 カガヤン・デ・オロ ザロフトイン        2,400円×1泊(ダブル)
 33日目/11月05日 スリガオ        ビーペンション       1,920円×1泊(シングル)
 34日目/11月06日  フェリーターミナル泊(アレン)         
 35日目/11月07日 レガスピ       F2Mタワー        2,887円×1泊(ダブル)
 36日目/11月08日 バス泊(レガスピ・マニラ)                           
 37日目/11月09日 マニラ         ウェストマカティホテル  1,995円×2泊(シングル)  
 38日目/11月10日 マニラ            〃 
 39日目/11月11日 マニラ            〃          1,367円×1泊(シングル)
   (↑ウェストマカティホテル/2泊分を予約、その後1泊分を追加。部屋のタイプが違うため料金も異なる)
 40日目/11月12日 タール       ドリームウェーブホテルリメリ 3,120円×1泊(シングル)
 41日目/11月13日 タガイタイ      ジェイコブズ・ヒル     2,212円×2泊(シングル/朝食付)
 42日目/11月14日 タガイタイ         〃
 43日目/11月15日 二ノイアキノ空港   ザ・ウィングス        2,100円×1泊(カプセル7.5時間) 
 44日目/11月16日  ****                         

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(b)ホテルの選択基準/安宿とドミトリー

 安宿に泊まっているが、最安値ではない。

 洗濯をしたい場合はシングルを利用する。ドミトリーに洗濯機はあるが、洗面所での洗濯を禁止しているところがある。洗濯物を乾かす必要があるので2泊することが多くなる。

 都市部ではドミトリーが中心になる。地方にはドミトリーがないことが多い。

 ドミトリーに泊まる場合、ベッドのカーテンの有無、ベッド脇のコンセントの有無、室内のロッカーの有無はポイントとなる。コンセントの有無は説明には記載されていない。ベッド周辺を写した写真にコンセントらしきものがあるか、ベッドにカーテンが付いているか、室内写真にロッカーはあるかなどを写真から判断する(判断できないこともある)。夜遅く着く場合の、レセプションの24時間対応の有無をチェックし忘れてはいけない。

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(c)ヨルダン

 ホテル料金は高くない。


(d)イスラエル

 ホテル料金は高いが、探せば安いホステルを見つけることはできる。宿泊予定日の1週間ほど前にハイファ、アッコーのホテルを予約しようとしたところ、安いホテルはことごとく満室になっていた。


(e)レバノン

 ホテル数は少ない。一般に宿泊料金は高いが、バックパッカー系の宿を見つけることはできた。


(f)フィリピン

 サンボアンガ、マニラ、タール、タガイタイのホテルを予約したが、サンボアンガからマニラまでの、バス旅の途中では現地で探した。バスの到着時刻が読めなかったからである。久しぶりに旅らしい旅になった。


(g)ホテルの予約

 私の旅に「ホテルの予約」が入り込んできたのは2013年の終盤からである。旅の終わりのほうで航空券の予約をするケースが増えたことがきっかけだった。2014年の連続した138日の旅程のなかでは40泊程度を予約した。2015年からは予約をする割合がさらに増えた。

 ホテルを予約していくことに少なからず「負けた」感がある。何に負けたのかはわからないが、強いて言うなら「旅(の不安)に負けた」ということかもしれない。ホテルの予約をするということは、何月何日にその街に行くことを決めることになる。それは旅のなかでもっとも旅を感じる部分に掉さすことである。「流れる感じ」「流していく感じ」のどこかに自らピン止めするのがホテルの予約である。

 一度ピン止めをすると、キャンセル料の発生や変更手続きの面倒くささによって、ピン止めは固定されてしまう。そしてなし崩し的に旅を安定させる。旅人はみなそのことを自覚している。

 しかし世界はまだ捨てたものではない。アフリカ、南米、アジアの田舎など、ピン止めさせない場所を世界はまだそれなりに残している。

     終
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44日目 2018年11月16日 ニノイアキノ空港 成田空港

旅の終わりに向けて出発

 ニノイアキノ空港ターミナル3にあるカプセルホテル、ザ・ウィングスは宿泊客の滞在を実質7.5時間(名目8時間)に設定することで、客のチェックイン・アウトを1日3ローテーション分確保している。チェックイン時に指定されたチェックアウト時刻は1:15である。チェックインは昨日の17:45だったということである。

 セブパシフィック5J5054便の出発は6:15である。もっとゆっくりしていたいのだが、チェックアウト時刻を指定されているのだから仕方がない。チェックアウト時刻を考慮し、より遅い時刻にチェックインをすればいい話なのだが、満室の可能性がある。だからなんとなく頃合いを見計らってチェックインをしたら、こうなった。

 ザ・ウィングスのチェックアウトから航空会社のチェックインカウンターまで徒歩3分である。ドンムアン空港(バンコク)のアマリ・エアポートホテルと同じレベルの便利さである。

 荷物の規定が厳しく設定されているセブパシフィックのチェックインカウンターで荷物は計量されなかった。この旅で、荷物が計量されたのは出発の羽田空港エアアジアのカウンターだけである。

 欧州系の多くは10㎏、アジア系は7㎏というのがLCCの荷物制限の相場である。トルコのペガサスエアラインの8㎏はなかなかうまいところを重量制限の落としどころとしている。私の場合、8㎏だと問題ないが、7㎏制限では工夫を要する。今回は傘を持たない旅になった。傘を持っていかない、と語った友人の言葉が頭にあったのでそうしてみた。特に困ったわけではなかった。傘がなければ、雨のときに動かなければいいだけの話だった。この経験は今後の旅に役立つだろう。

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 セブパシフィック5J5054/ニノイアキノ空港(T3)  6:15 → 成田空港 11:35     

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秋の日本の日常にもどった

 5J5054便はほぼ定刻に成田空港に着いた。

 日本は秋だった。空港を行き交う人たちはみんな小奇麗な服装をしていた。整った人たちが節度ある態度で国際空港のなかを動いていた。

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 汚れた服を着ているが、電車のなかの隣りに座る人の顰蹙とはならないだろう。そういうレベルの汚さである。11月中旬の、素足にサンダルは目立っているが、10月31日のニノイアキノ空港でビーチサンダルを買わなかったのは成田空港から自宅までの移動を意識してのことである。私にもその程度の日本的配慮が備わっていることを誰か理解してくれるだろうか。

  to be continued

43日目 2018年11月15日 タガイタイ マニラ ニノイアキノ空港

タガイタイでコーヒー

 部屋で朝ご飯。コーヒーはインスタント。

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 ジェイコブヒルをチェックアウトした。

 1㎞歩いてスターバックスコーヒーに行くか、ジプニーかトライシクルでフォラ・モールに行き、モールのなかにあるコーヒービーンに行くか迷った。スターバックスコーヒーに行った場合、そのあともう一度、トライシクルでオリバレス・プラザに移動しなければならない。

 フォラ・モールに行くことにした。

 トライシクル/ジェイコブヒル・タガイタイの近く 9:00頃 → フォラ・モール前 9:10頃/料金40ペソ

 フォラ・モールの前に立った。予想していないわけではあったが、モールの開店時刻は10:00だった。コーヒービーンの開店も10:00ということになる。

 バス発着場の近くにあるマクドナルドに入った。

 下の写真の、左のほうからバスはやって来る。置かれたコーヒーの後ろをバスは通過し50mくらい先に停まる。バスのほとんどはマニラ行きだと思われる。5分くらいは停車するはずで、バスの通過を確認してからマクドナルドを出ても間に合うだろう。満席で乗れないことはないと思っている。

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バクラランへ

 コーヒーを飲んでいる間に3台ほどのバスが窓の外を通過していった。

 マクドナルドを出ることにした。

 バクララン(マニラ)行きのバスが停まっていた。後方から見たバスは新しそうに見えたが、外観が内部(内面)を保証しないのはバスも人間も同じである(←似たような文章をどこかに書いた)。2列×3列のバスだった。料金の安さはバスの内部を反映したものだった。プライスは裏切らない。

 バス/タガイタイ 10:00頃 → マニラ・バクララン 12:40頃(推定)/77ペソ

 低価格バスは本領を発揮した。バスは至るところで客を乗降させた。

 バス停では多くの物売りが乗り込んできて仕事に精を出していた。彼らの努力が営業成果につながるのなら物売り稼業はもう少し楽になるだろう。寄付を募るキリスト教徒も乗ってきた。フィリピンのバスのなかには経済問題、労働問題、貧困問題が詰まっている。

 普通に走ればタガイタイとマニラは2時間の距離であるが、渋滞に巻き込まれた場合は3時間かかる。そういう路線である。

 2時間40分でバクラランに着いたのは上出来である。ダスマリニャスの交差点を東に折れなかったからである。渋滞が日常茶飯事のアラバンを経由しないで済んだ。ダスマリニャスから北に走りImusを通過するコースはマニラまでの最短ルートである。途中から湾岸を南北に走るRadial Rd1に入り、スピードを上げた。初めて通る道路だったので少し興味深かった。


下車する場所の判断を誤った

 一度下車したことのあるバクラランで下車しなかったのは失敗だった。その先のエドゥサ通りでバスが右折すると思い込んでいた。右折したところで下車すると、パサイにもSMモール・オブ・アジアにもほんの少しだけ行きやすくなる。どちらもニノイアキノ空港のターミナル1、2へのバスが発着する場所がある。

 しかしバスは中央に車線変更し、陸橋の上を通過した。つまり右折せずに直進した。停まったのはロハス通りとエドゥサ通りの交差点から北に1㎞の場所だった。

 歩道橋を渡った左手にロードサイド店が集まった商業地があった。ニノイアキノ空港のターミナル2に向かうバスがその商業施設の真ん中を横切ったことがあった。

 下車したところでタクシーを捕まえてニノイアキノ空港のターミナル3に行くことはできたが、時間は十分にあった。それにこの辺りは勝手知ったる場所だった。

 ロハス通りとエドゥサ通りの交差点までの1㎞を歩いた。涼しかったタガイタイとは異なり、マニラは熱気を放出していた。

 途中に日本大使館があった。警備員に注意されたが、注意される前に1枚撮っていた。

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 ロハス通りとエドゥサ通りの交差点にあったバーガーキングで昼ご飯。一般にフィリピンの飲食店のレシートは長い。バーガーキングのレシートはとりわけ長かった。

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バクララン周辺でニノイアキノ空港ターミナル3行きのバスを探した

 エドゥサ通りを越えロハス通りを少し南に歩いた。歩道橋の手前がバス発着場である。11月11日Tさんといっしょにニノイアキノ空港ターミナル3から乗ったバスが停まった場所の反対車線である。

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 この場所でアラバン行きバスを探したことがあった。100mの間のどこにバスが着くかわからないので、バスがやってくるたびに走らされるやっかいな場所であるが、時間は十分にある。根気よく待ってみた。タガイタイ行きのバスがあった。それはそうだろう、さっきタガイタイからやって来たバスが反対側車線に停止したのだから。アラバンに行くジプニーも発着していた。

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 ニノイアキノ空港行きのバスは現れなかった。パサイ周辺のバス発着場は複雑怪奇である。1 つ1つ結び目を解きほぐしていく楽しさはある、しかし・・・

 心は折れてないが、暑さに負けた。この旅のチャレンジはこの時点ですべて終了である。


ニノイアキノ空港ターミナル3で

 タクシーでターミナル3に向かった。

 タクシー/バクララン(ロハス通り) 14:00過ぎ → ニノイアキノ空港ターミナル3 14:20頃/料金200ペソ

 時間をつぶすべきターミナル3のすべて(かどうかを知らないが)のレストラン、カフェにコンセントはない。

 コンセントがあるカフェを1軒だけ知っている。

 ターミナル3の4階からランウェイ・マニラ・フットブリッジを歩いた。ニノイアキノ空港の滑走路付近とターミナル3の正面入り口付近を眺めることのできる連絡通路である。

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 ランウェイ・マニラ・フットブリッジを渡り終えたところはワールドリゾートマニラである。その一画にあるベルモントホテルの建物1階にはスターバックスコーヒーがある。10月31日に来たところである。ビジネス的だが、ゆったりした雰囲気を感じるのは天井が高いからである。スターバックコーヒーのくせにWifiの設備はないが、そのほうが旅日記に集中できる。

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2度目のザ・ウィングス(カプセルホテル)

 ターミナル3にもどった。4階のマクドナルドに向かって左側奥にあるザ・ウィングスにチェックインした。10月31日に泊まったカプセルホテルである。

 チェックイン時刻から7時間半滞在できる。カプセル内にコンセントがありWifiを使える。コーヒーは飲み放題で、サンドイッチとビスケットもある。シャワー室の着替えスペースなど改善点はあるが、滞在7.5時間の料金は1,000ペソである。

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 早朝便に乗るため空港近くのホテルに宿泊し慌ただしい朝を迎えるより、ずっと便利である。

42日目 2018年11月14日 タガイタイ

ジェイコブズ・ヒルはわりとリゾート風

 タガイタイは高原リゾートであるが、昼間は冷房があったほうがいい。しかし明け方はかなり冷えた。フィリピンで体験した初めての冷気である。それは2013年の避暑地バギオでさえ感じなかったものである。

 朝ご飯が部屋に運ばれた。ここ数年の海外の旅で、部屋で朝食を取ることができたのはポートモレスビー(パプアニューギニア)とアンヘレス(フィリピン)だけである。ご飯がうまかった。フィリピンでそう感じたのは初めてかもしれない。

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 あちこちが古びているジェイコブズ・ヒルだが、ほのかなリゾート感があった。朝食を準備してくれたフィリピン人のおばさんの気楽な雰囲気がゆったりした朝を演出していた。

 朝ご飯を食べたあと、少し寝てしまった。

 行ってみたいところが1つあるが、その前にコーヒーをもう1杯飲みたい。朝食のコーヒーはインスタントだった。

 昨日オリバレス・プラザ前から乗ったトライシクルの走行中に、スターバックスコーヒーを見つけていた。ジェイコブズ・ヒルから1.2㎞ほど西にあった。

 10:00前ジェイコブズ・ヒルを出た。部屋を出る前、掃除をしていいかと聞かれた。お願いした。

 タガイタイ・カランバ・ロードを西に歩いた。道路沿いに別荘がいくつかあった。

 途中にいくつものビューポイントはあった。朝の空気は澄んでおり、見慣れてしまったタール湖とタール火山も昨日よりは映えていた。

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世界最高水準のスターバックスコーヒー

 COUNTRY SUITES(リゾートホテル)の隣にあった。

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 グーグルマップで支店名が表示されていないスターバックスコーヒーは、店舗の横に大きな駐車場が確保されていた。傾斜地がほとんどである、タガイタイ・カランバ・ロードの南側にあって、平面の土地を確保するため造成をしたと思われる。

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 店内は広くゆったりとしていた。ここまでのゆったり感は日本のスターバックスコーヒーにないものだった。傾斜地を利用した地下にも席は多くあった。

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 コンセントは多く用意されているが、Wifiはなかった。ワールドリゾートマニラにあるスターバックスコーヒーにもWifiはなかった。Wifiが普及しているフィリピンではむしろ不思議である。

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 店内からはもちろんタール湖とタール火山が見えた。眺望の効く場所を選んで出店したのだから。

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 日本国内では富山環水公園店や福岡大濠公園店がよいということになっているが、この店は、世界一のスターバックスコーヒーを選ぶ際にノミネートされていいだろう。

 グーグルマップで確認するとタガイタイにスターバックスコーヒーは6店あるらしく、タガイタイ・カランバ・ロードとタガイタイ・ナスグブ・ハイウェイ沿いに4店確認できた。4店からはタール湖とタール火山が見えるはずである。


タガイタイ・カランバ・ロードを西へ

 スターバックスコーヒーを出たところにあるタガイタイ・カランバ・ロードをジプニーは頻繁に走っていた。やって来るジプニーを片端から捕まえては、カレルエガ教会に行きたいことを伝えた。

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 予想したとおりだった。すべてのジプニーはオリバレス・プラザ止まりだった。オリバレス・プラザはタガイタイのへそなので仕方がない。

 ジプニーを捕まえては乗ることのできない私のところにトライシクルは何台も寄ってきた。

 トライシクルを断ったのは私ではない。行き先がカレルエガ教会であることを確認したトライシクルは自ら去っていった。グーグルマップでは22㎞ほど離れている。

 ジプニーかトライシクルでオリバレス・プラザまで行き、マニラからやって来るナスブ行きかタール行きのバスを捕まえる手もある。

 タガイタイ・カランバ・ロードでジプニーを待つこと40分、もうジプニーは来ないんじゃないかと思い始めた頃、バスがやってきたことに驚いた。どこから来たバスなのかわからなかったが、ナスブ行きだった。

 バス/スターバックスコーヒー前 11:50頃 → カレルエガ教会から2㎞地点 12:40 頃/料金33ペソ

 タガイタイ・カランバ・ロードはオリバレス・プラザまでの道路の名称である。オリバレス・プラザから西はタガイタイ・ナスブ・ハイウェイとなる。ハイウェイでもロードでも道路状況は変わらない。


カレルエガ教会までの楽しい道のり

 バスを下車したところはナスブ方面とタール方面への分岐点である。タガイタイとナスブの中間地点でもある。トライシクルが何台も待機しており誘ってきたが、断った。

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 暑さは気になるが、2㎞ほどを歩くことにした。

 道は広かったが、途中から舗装がなくなった。

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 「丘のうえの教会」があった。奥のほうで結婚式が行われているようだった。

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 露店があり、

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 ゴルフ場が見えた。

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 閉鎖された宿泊施設らしきものもあった。

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 のんびりと楽しい散歩になった。カレルエガ教会までの往路で、車、トライシクル、バイク合わせて10台ほどが行き交ったが、歩いているのは私だけだった。

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結婚式場としてのカレルエガ教会

 カレルエガ教会は小高い丘の上にあった。入口付近には土産物屋があった。途中の道で車の往来はほとんどなかったのに駐車スペースには30台ほどの車が並べられていた。

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 入場料30ペソを払い教会に入った。最近、欧州の教会が博物館を併設し、入場料を取る傾向にあるが、フィリピンの教会で入場料を払った記憶がない。

 カレルエガ教会では音楽や礼拝などのワークショップが催されたり、キャンプなどのアクティビティが開催できるらしい。教会の機能としては一般的だが、地元に密着した感じはない。周辺に人は住んでいないので地元に密着しようがない。利用者はマニラからやって来るようである。

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 周辺の風景はきれいだし、敷地内の石畳や庭は手入れされていた。お洒落な結婚式会場といった雰囲気である。

 教会内には大きなステンドグラスがあった。絵柄は少し幻想的である。これから結婚式が始まろうとしており、スタッフが花の準備をしていた。そのあとドレス姿の花嫁が付き添いの人と階段を上がっていった。結婚式に出席する人たちも教会に入っていった。

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 フィリピンの教会巡りは私のちょっとした楽しみだった。ダラガ教会(ダラガ)、サン・オウガスチン(パオアイ)、一昨日行ったタール大聖堂(タール)など、ときおり素晴らしい教会に遭遇してきたが、カレルエガ教会は様相が異なった。お洒落な結婚式場やパーティ施設を見にきたわけではないので、かなりがっかりした。

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のんびり復路

 ジプニーは走っておらず、教会前にトライシクルは1台も待機していなかった。みんな車でやって来る。トライシクルの出番はほとんどない。

 歩くしかないので歩いた。往路復路合わせて4㎞の道のりを歩いていたのは私だけだった。

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バスでオリバレス・プラザへ

 タガイタイ・ナスブ・ハイウェイに出た。文字通りタガイタイとナスブを結ぶ幹線道路である。

 十数台のトライシクルのなかにジプニーが1台止まっていた。そのジプニーに乗ろうとしたとき、パサイ(マニラ)行きのバスがやって来た。タガイタイに停まるというのでバスに乗車した。ジプニーは25ペソだったが、バスのほうが高かった

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 バス/カレルエガ教会から2㎞地点 15:00頃 →  オリバレス・プラザ 15:40頃/料金28ペソ

 タガイタイからカレルエガ教会に向かったとき(行き)のバスの運賃は33ペソだった。運賃の差はバス会社が異なるからである。

 タガイタイまで28ペソで乗れる(帰りの)バスは途中、幹線道路を外れただけでなく停まる回数はやたら多かった。このバスでパサイ(マニラ)まで行くのは嫌である、そう思わせるバスだった。

 オリバレス・プラザで下車した。


オリバレス・プラザで

 今日も、昨日入ったフォラ・モールに入った。オリバレス・プラザ周辺にマクドナルド、チョーキン、イナサルはあるが、それ以外にちょっとした店を探そうと思うと、このモールに入るしかない。

 韓国料理店でビビンバを注文した。フィリピンに入国してからの食事で、ご飯を食べるようになったが、未だ馴染めていない。具材よりも米がうまかった。

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 インフィニティにするかコーヒービーンに入るかで迷った。コーヒービーンで大きなカップに並々と注がれたカプチーノはうまかった。明日また来るかもしれない。

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 オリバレス・プラザ周辺でやることはもうなかった。ジェイコブズ・ヒルにもどることにする。トライシクルは乗る場所によっては料金50ペソが40ペソになることがわかった。

 トライシクル/オリバレス・プラザ 18:10頃 → ジェイコブズ・ヒル前 18:20頃/料金40ペソ


ジェイコブズ・ヒルの停電

 夜、停電になった。シャワーを浴び、やるべきことを一通り終えたあとだったので困ったことはなかった。ジェイコブズ・ヒルに予備電源がないことが判明した。

 すぐに復旧するだろうという期待はフィリピンでは禁物である。タグビラランでは町中の電気が一晩中消えていた。10m先の建物がわからなかったが、マクドナルドの灯りだけは点いており誘蛾灯のように人を集めていた。

 ジェイコブズ・ヒルでの停電は2時間ほどで復旧した。

 フィリピンの地方での停電頻度はキリバスやパキスタンよりは低い。

41日目 2018年11月13日 タガイタイ

タガイタイへ

 ドリームウェーブホテル・レメリはXentro モール・リメリのなかにある。モールのなかで開いていたのはマクドナルドとイナサルだけだった。モールの外にあるジョリビーは開いていた。

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 マクドナルドで朝ご飯。

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 コーヒーをテイクアウトしてきた。しばらくホテルの部屋で過ごし、11:00前にチェックアウトした。

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 Xentro モール・リメリの真正面にDLTBバスターミナルがある。昨夜、タガイタイ行きのバスの有無について確認しておいたが、マニラ行き(クバオ行きなど)のバスは途中のタガイタイでは停車しないと言われた。

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 タガイタイに行くにはトランスポートしかないらしい。

 周辺をうろうろしたが、発着場所を見つけることができなかった。

 仕方なくDLTBバスターミナルにもどってきたとき、バスターミナルの隣の隣の空いているスペースに車が1台停まっていた。それがタガイタイ行きのトランスポートだった。さっき通ったときは車がなかったので素通りしてしまった。

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 トランスポートのなかで出発を待った。暑かったからである。50分ほど待たされた。

 グーグルマップ上での距離は50㎞ほどなのにタガイタイまでの料金は高かった。

 トランスポート/Xentro モール・リメリ前 11:00頃 → オリバレス・プラザ 12:50前/料金140ペソ

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 車窓のところどころでタール湖とタール火山が見えた。美しい景色である。

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 トランスポートのドライバーに、宿泊先であるジェイコブズ・ヒルの場所をグーグルマップで示したが、そこまで行かないらしい。トランスポートの終点はオリバレス・プラザである。

 オリバレス・プラザで下車した。


ジェイコブズ・ヒルにチェックイン

 タガイタイの中心である。周辺をざっと歩いたが、おもしろそうな場所ではなかった。それにまた来ることになる。ジェイコブズ・ヒルに向かうことにした。

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 タガイタイ・カランバ・ロードを東に向かうジプニーのドライバーも10人ほどいた乗客たちも誰1人、ジェイコブズ・ヒルというホテルを知らなかった。

 グーグルマップの位置情報をオンにした。ジェイコブズ・ヒルの近くで下車した。

 ジプニー/オリバレス・プラザ 13:30頃 → ジェイコブズ・ヒル近く 13:40頃/料金10ペソ

 ジェイコブズ・ヒルはリゾート風のペンションだった。若いオーナーは親切そうではなかったが、その下で働いているおばさんは明るく気さくな感じだった。

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 ジェイコブズ・ヒルからタール湖とタール火山が見えた。下のほうにあるホテルが景色を邪魔していたけれど。

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 部屋で少し休んだあと、外に出た。

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ジェイコブズ・ヒル周辺を歩いた

 タガイタイ・カランバ・ロードを渡ったところに花市場があった。

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 花市場の隣に果物市場があった。花市場では花しか売られていなかったが、果物市場で売られていたのは果物だけではなかった。

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 2つの市場の近くに3軒の食堂があった。そのうちの1軒で昼ご飯。

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 市場以外にジェイコブズ・ヒル周辺でおもしろそうなところはなかった。

 タール湖とタール火山はタガイタイの多くの場所から見ることができる。タール湖とタール山を見るのに適した場所であるタガイタイ・ピクニック・グローブ・コンプレックスやピープルズ・パークに行く必要を感じないが、せっかくタガイタイまで来たのだからどちらか1つに行ってみることにした。

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 数台のトライシクルが代わる代わる誘ってきた。最初彼らの誘いを断っていたが、ジプニーはなかなかやって来なかった。仕方ない、トライシクルで行くことにした。

 トライシクル/ジェイコブズ・ヒル近く 15:00頃 → タガイタイ・ピクニック・グローブ・コンプレックス 15:10頃/料金50ペソ

 トライシクルはタガイタイ・カランバ・ハイウェイを東北方向に走った。


タガイタイ・ピクニック・グローブ・コンプレックスで

 タガイタイ・ピクニック・グローブ・コンプレックスに着いた。多くの観光客が来るのだろう、多くのトライシクルが客待ちをしていた。

 タール湖とタール火山が見えるように山の斜面が公園になっている。土産物屋は何軒かあったが、施設全体は古かった。

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 キャンプ施設、ジップラインなどがあった。ジップラインをやっている人はいなかったが、何もない公園でフィリピン人たちは本当に楽しそうにしていた。

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 ボートで湖のなかのタール火山の麓まで行き、馬に乗りタール火山を上ることができるらしい。タール火山はカルデラ湖である。火山の周囲から内側の湖を見ることができるらしい。遊びに来ていた家族連れからそのようなことを教えてもらった。行くとなれば、おそらく半日以上はかかるだろう。

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 タール湖とタール火山を眺めるだけなら1時間もあれば十分である。それにトランスポートの車窓やジェイコブズ・ヒルから見た景色と変わらない。

 タガイタイ・ピクニック・グローブ・コンプレックスを出た。

 やはりトライシクルしかないとあきらめかけていたとき、運よくジプニーが通りかかった。

 ジプニー/タガイタイ・ピクニック・グローブ・コンプレックス前 16:30頃 → オリバレス・プラザ 16:45頃/料金10ペソ        


オリバレス・プラザで      

 ジェイコブズ・ヒルの前で下車しなかった。オリバレス・プラザに着いた。

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 オリバレス・プラザからもタール湖とタール火山は見えた。要するにタガイタイのどこからでもタール湖とタール火山は見える。

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 オリバレス・プラザにあるフォラ・モールに入ってみた。スーパーマーケット、ファストフード系のレストラン、シネマが入居していたが、流行っているようではなかった。インフィニティがあった。トゥゲガラオとマニラで入ったことのある、紅茶を中心としたカフェである。

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 フォラ・モールには開業準備中のユニクロがあった。すでに50店ほどを展開し、まもなくアヤラ(マニラ)に東南アジア最大の旗艦店ができる。ユニクロはフィリピンで快進撃を続けている。

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 スーパーマーケットでパンと菓子を買って、トライシクルに乗った。


ジェイコブズ・ヒルにもどった

 トライシクル/オリバレス・プラザ 18:10頃 → ジェイコブズ・ヒル前 18:20頃/料金50ペソ

 下の1枚はジェイコブズ・ヒルから撮った、陽が落ちたタール湖とタール火山。

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 深夜、雨は降らなかった。

40日目 2018年11月12日 マニラ ナスブ タール

DLTB(デルモンテランドトランスポート)のバスターミナルで

 ZENルームズ・ウエストマカティホテルをチェックアウトした。少し歩いたところでジプニーを拾いビト・クルス駅に向かった。

 ジプニー/ZENルームズ・ウエストマカティホテルの近く 7:00頃 → LRT・Line1ビト・クルス駅前 7:10頃/料金9ペソ

 ビト・クルス駅からLRT・Line1に乗り、1つ南にあるヒル・ブヤット駅で下車した。

 LRT・Line1/ビト・クルス 7:30頃 → ヒル・ブヤット 7:50頃/料金15ペソ

 ヒル・ブット駅のホームからバス会社が見えていた。DLTB(デルモンテランドトランスポート)バスターミナルはすぐに見つかった。

 2002年にはパサイにあるBSCトランスポートのバスに乗ったが、数日前にDLTB(デルモンテランドトランスポート)バスターミナルからナスブ行きのバスが出ている情報を見つけた。パサイに行くよりは近いのでヒル・ブヤットに来てみた。

 他の路線のバスは次々と着発していたが、ナスブ行きだけはやって来なかった。トラブルがあったようだ。発車を待つ人の列は最初1列だったが、折り返しを重ね3列になった。待っている人が100人くらいになったときバスはやってきた。待ったのは1時間半である。

 バスの前面に「ナスブ行き」の表示はなかった。「タガイタイ行き」となっていた。タガイタイは途中の街である。15番目くらいに並んでいた私は乗車時にそのことを尋ねた。車掌は「ナスブには行かない」と言った。タガイタイまで行って乗り継ぐかナスブ行きのバスを待つかを一瞬、躊躇した。車掌の声を聞いたらしい、すでに乗り込んでいた人たちのなかからクレームがあがった。こんなに待ったのになぜナスブに行かないのか、という内容のクレームである。この日ナスブ行きのバスの運行だけが乱れていた。

 DLTB(デルモンテランドトランスポート)がこのバスの運行予定を変更したのかどうかはわからない。バスはナスブに行くことになった。タガイタイに行く人もナスブに行く人もみんなバスに乗車した。乗車する順番は守られていた。立つことを条件にバスに乗り込んだ人たちもいた。残された人たちは次のバスを待つことになった。

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ナスブへ

 デルモンテランドトランスポート・バス/マニラ ヒル・ブヤット 9:30頃 → ナスブ 12:30頃/料金160ペソ

 バスはマニラの渋滞のなかをのろのろと進んだが、アラバンを過ぎてからは順調に走った。

 ダスマリニャスが近づいてからは乗降者が多くなった。バスは停車と発車を繰り返した。  

 乗客の多くはタガイタイに着くまでに下車していった。タガイタイを過ぎても乗っていたのは1/4ぐらいだった。

 車窓左手にタール湖とタール火山が見え隠れしていた。美しい景色だが、写真を撮らなかった。タガイタイには明日また来ることになる。

 バスはすんなりとナスブに向かったのではなかった。西北に走っていたバスはナスブに入る手前で一度南に方向を変えた。私は慌てた。ドライバー席に行き、ナスブに行かないのかを尋ねた。リアンに寄ったあとで折り返しナスブに向かうという返事だった。


ナスブを歩いた

 ナスブに着いた。

 16年前のナスブは海沿いにバンガローのようなホテルが並んでいたが、内陸側の、町の中心付近は賑やかでなかったと記憶している。記憶が変質したのか、町が発展したのかはわからない。南北に走るJPローレル・ストリートの両側には店が並び、町はわりと賑わっていた。

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 JPローレル・ストリートの西側の一画にナスブ・パブリック・マーケットがあった。まったく記憶にないが、昔からあったのは間違いない。かなりくたびれたマーケットである。

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 フィリピンのマーケットの雰囲気はどこも似ている。

 JPローレル・ストリートの西1㎞ほどのところにあるビーチまで歩いた。

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 下の2枚は2002年10月29日のナスブのビーチ沿い。

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 ホテルやペンションの数は減ったと思われる。ビーチ沿いに人はいなかった。まるで活気を感じなかった。

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 「マッカーサーの上陸記念碑」を思わせる像があった。これはまったく記憶にない。

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 下の1枚は、2013年8月2日に撮ったタクロバンの「マッカーサーの上陸記念碑」。

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 JPローレル・ストリートにもどった。

 数日前はナスブに宿泊することも考えていたが、止めた。予約サイトのホテル料金はどこも高かった。

 タールへの移動手段を探さなくてはならない。DLTB(デルモンテランドトランスポート)バスがタールに行かないことを、バスを下車したときに確認してあった。

 町の中心であるジョリビー、セブンイレブンからJPローレル・ストリートを南に行ったところにミンダナオ・エクスプレスのバス発着場があったが、タール行きのバスはなかった。

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 その向かいからトランスポートが発着していた。タール行きがあった。

 10人になったら出発するらしい。3人ほど乗っていたが、すぐに人が集まるとは思えなかった。簡単な食事くらいはできるだろう。ジョリビーで昼ご飯を食べた。

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 急いでもどった。トランスポートは発車間際だった。


タールへ

 トランスポート/ナスブ14:00頃 → タール 15:10頃(推定)/料金76ペソ
 
 ナスブからタールに向かう道路は2本あった。距離がある海側と海側より直線的にタールに向かう山側のルートである。トランスポートは山側の道を抜け、MH17を南東に走った。

 予約しているドリームウェーブホテル・レメリをトランスポートのなかの誰もが知っていた。モールのなかにあるホテルだという。

 1時間10分ほどでXentro モール・リメリに着いた。その建物内にあるドリームウェーブホテル・レメリにチェックインした。レセプションから長い廊下を抜けたところに部屋があった。

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 陽が暮れるまで少し時間がある。部屋にリュックを置きタールに向かうことにした。

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 ジプニーはなかなかやってこなかった。トライシクルで行くことにした。

 トライシクル/ドリームウェーブホテル・レメリ前 15:40頃 → タール大聖堂前 15:50頃/料金50ペソ


喪失の町タール

 トライシクルはMH17を少し走ったあと、タールの裏道の未舗装道路をガタガタと走った。そしていきなりタール大聖堂の前に出た。

 タール大聖堂は小高い丘の上に建っている。サンマーチン・バシリカ聖堂ともいわれている。東洋のカトリック教会建築では最大規模(全幅96メートル、奥行き45メートル)だったが、1754年のタール火山の噴火、1849年の地震などで幾度か破壊された。現在の建物は1856年に再建されたものである。

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 古い教会巡りはフィリピンの旅の楽しみの1つである。熱心に教会に通うフィリピン人を見るたびに、アジアの哀しみを感じてしまう。

 タールの町はバラヤン湾からなだらかに上る斜面に作られた。1732年から1754年までのバダンガスの州都である。タールにはスペイン植民地時代の教会、スペイン様式の木造家屋、コロニアル風の石造りの家がある。かってはマニラに次ぐほど繁栄したが、タール火山の大噴火でタール湖は堰き止められ、町は水没した。

 そのあとタールは州都をバタンガスに譲ることになってしまった。

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 ガレリアタールは閉まっていた。スペイン統治時代に建てられた建築を改装し、希少なビンテージカメラを展示している。展示されてあるカメラに興味はないが、それらのカメラで撮った古いフィリピンの写真が展示されているらしい。それを見たかった。

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 聖母マリア・カイササイ教会(Church of Our Lady of Caysasay)はタール大聖堂の北東にある小さな教会である。私が入ったのは裏口からだった。ちょうど管理人が教会の表門を閉めようとしていたところだった。祭壇には高さ27センチの小さな木製マリア像が祭られているが、時間はなく追い出されるように教会を出た。

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 この日の夜、この教会を検索してみた。伝説があった。

 木製マリア像は1603年パンシピット川で漁師の網に掛かったものである。持ち帰ったマリア像を漁師が自宅に飾ると奇跡的なことが起こった。やがて町で特別の場所で祭ることになり、大切に保管された。しかしこのマリア像はどんなに厳重に保管しても時々消えてしまう。そして意外なところで発見される。あるときマリア像はまた失踪した。しばらくして2人の芝刈りの女性が泉に映るマリア像を見つけた。見上げると、マリア像はサンパーギの木の上にあり、その時カイササイという鳥がマリア像を見守っていた。以来、マリア像は「カイササイの聖女」と呼ばれるようになり、(何度か)発見された場所にはカイササイ教会が建てられた。教会にはその時の様子を描いた天井画が残されているそうだが、それも見ていない。

 まるでおとぎ話である。

 おとぎ話と対局にある話もある。フィリピンの国花サンパーギは、日本における桜のような存在である。小さな白い花を咲かせるサンパーギを売る少女たちがマニラにはいる。その少女たちからサンパーギを買ってはいけないという話がある。彼女たちはシンジケート(ヤクザ)に組み込まれていて、その資金源になるからである。

 タールはビガン(イロコス州)と対比され「リトルビガン」とも呼ばれている。下の2枚は2013年7月22日のビガン。

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 ビガンは華やかな観光地になっているが、タールは地味で素朴でちょっと鄙びている。タール大聖堂を含むタールの町全体が世界遺産に推薦されたことがあるが、落選した。

 ブリュージュはベルギーの街である。ローデンバックが小説『死都ブリュージュ』を書いた。福永武彦の小説『廃市』は柳川(福岡県)が舞台であるといわれているが、『死都ブリュージュ』をモデルにしているという説もある。大林宣彦は映画『廃市』を柳川でオールロケした。

 タールは喪失の町である。

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 夕暮れのタールを歩き、MH17沿いのチョーキンで夜ご飯。

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 トライシクルでドリームウェーブホテル・レメリにもどった。

 トライシクル/タール中心部 18:00頃 →  ドリームウェーブホテル・レメリ前 18:10頃/料金40ペソ

39日目 2018年11月11日 マニラ

タクシーでアヤラ(マカティ)へ

 アヤラに行こうということになった。マカティにあるマニラのお洒落エリアである。LRT・Line1とMRT・Line3を乗り継ぐのが普通の行き方であるが、かなり遠回りになる。その前に最寄り駅のビト・クルス駅まで1㎞ほど歩かなければならない。

 ZENルームズ・ウエストマカティホテルの名称には「マカティ」の文字が入っている。ウエストマカティホテルはその名のとおり、マカティ市に所在している。グーグルマップでMRT・Line3のアヤラ駅までは4㎞ほどで、アヤラの外周部のどこかで下車すれば3㎞程度の移動である。ジプニーで行くのにちょうどよい。

 ホテルの近くでジプニーを探したが、どのジプニーもアヤラには行かないという。場所を変えてみたが、ジプニーのドライバーの反応は似たようなものだった。遠くはないのだが、アヤラ中心部に向かうジプニーの路線がないのである。

 仕方がないのでタクシーに切り替えた。

 タクシー/ZENルームズ・ウエストマカティホテル近く 9:20頃 → アヤラ博物館 9:30頃/料金150ペソ

 気さくなドライバーだった。料金は低くないが、2人移動としてはまあまあの範囲に収まっている。

 下りたのはアヤラ博物館の前である。ガラス張りのモダンな建物である。フィリピンの歴史が学べるらしい。ここはマカティの外周部に当たる場所である。

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 マカティはメトロ・マニラを構成する市の1つである。だからマニラ市ではない。


ザ・ペニンシュラ・マニラで朝ご飯

 交差点の対角線にザ・ペニンシュラ・マニラが見えていたのに、地下通路に入ればいいのか、信号を渡ればよいのかわかりにくかった。

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 どうにかザ・ペニンシュラ・マニラに着いた。

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 内部のあちこちにクリスマスのデコレーションがあった。

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 カフェ「ザ・ロビー」に入った。宿泊客はビュッフェスタイルで朝ご飯を食べているようだ。用意されていた料理は豪華だった。

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 私たちはインターコンチネンタルのブレックファースト。

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 私たちのテーブルに付いた女性ウェイターは片言の日本語を話した。サービスは気が利いたものだった。単なる高級ホテルではなかった。一流ホテルを感じた。


アヤラでプレミアムエアポートバス[UBE Express]のバス停を探した

 ザ・ペニンシュラ・マニラを出た。アヤラ通りを挟んだ南側にはマカティ・シャングリラ(ホテル)がある。

 マカティの中心であるアヤラにはショッピングモールが揃っている。グロリエッタ、アヤラセンター、グリーンベルトモール、SMモールなどである。

 アヤラはまたビジネス街でもある。

 バス停を探しながらアヤラ通りを南西に歩いていたとき、行列のできている店があった。YABUは日本のとんかつ店で、今日オープンのようである。

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 探しているのはプレミアムエアポートバス[UBE Express]のバス停である。

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 ニノイアキノ空港からマニラ中心部へのアクセスは悪い。空港に乗り入れる鉄道はない。そういうなか2016年2月プレミアムエアポートバス[UBE Express]が誕生した。24人乗りというのは疑いなくプレミアムということだが、すべての路線で運転間隔がフリークエンシーというわけにはいかないようである。ルートは以下のとおりである。

 ①Entertainment City Route(30分間隔/5:00~24:00)
 ②Robinsons Route(2時間間隔/6:00~24:00)
 ③Makati Route(2時間間隔/6:00~20:00)
 ④Grand Prix Route(30分間隔/2:00~1:00)
 ⑤Atrium Route(2時間間隔/4:00~22:00)

 ③Makati Routeのバス停がグロリエッタの南側辺りにあるはずなのだが、みんなわからないという。

 二手に分かれて探してみたが、結果は同じだった。道路沿いにバスが頻繁に着発している大きなバス停があったが、そこではないらしい。


仕方なくジプニーでまずパサイまで行く

 パサイ行きのジプニーが見つかった。パサイからニノイアキノ空港のターミナル1と2に向かうバス停を知っている。仕方ないのでパサイに行くことにした。

 パサイに向けて走ったジプニーは思い通りの場所には着かなかった。途中で下車することになった。

 ジプニー/アヤラ 12:20頃 → Antonio.s Arnaizアベニュー 12:35頃/料金12ペソ

 Antonio.s Arnaizアベニューを西に少し歩いた。左に折れP.Zamoraに入った。そこから南に1㎞歩けばパサイである。

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 P.Zamoraの両側には2、3階程度の建物が連なっていた。多くは住居だが、地元の商店があちこちにあった。マニラの日常を垣間見ることができた。

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 この通りで300mほどの間、犬に付きまとわれることになった。私たちの何に興味を持ったのだろう?


パサイから路線バスでニノイアキノ空港ターミナル2へ

 P.Zamoraの出口にカバヤンホテルがあった。このホテルの前を何度か通ったことがあった。

 エドゥサ通りに出た。パサイを東西に貫く幹線道路である。西に行けばSMモール・オブ・アジアに突き当たる。東(北)に行けばアヤラ、オルティガス、クバオに至る。

 早朝を除いて、パサイからクバオまでのエドゥサ通りはいつも大渋滞になっている。渋滞にはまった一部のドライバーたちは道路に出て進行方向を眺めたりすることがある。下車したいとバスのドライバーに伝えれば、バス停でなくても下りることができる。パサイより東北側のエドゥサ通りにはMRT・line3が並走しているので、バスを下りてline3に乗り換えてしまうことができる。

 カバヤンホテル前には、前述のプレミアムエアポートバス[UBE Express]の④GRAND PRIX ROUTEのバス停があることを知っていた。そのバス停を見つければ、ニノイアキノ空港のターミナル3に直接行くことができる。

 それらしいものはなかった、やれやれ。

 高架になっているエドゥサ駅から続く歩道橋を渡り、エドゥサ通りを西(SMモール・オブ・アジアの方角)に歩いた。タクシー乗り場に着いた。そこはバス停である。バス停であることが想像できにくい場所なのだが、ここから空港行きのバスに乗ったことが2度あった。やって来るバスはターミナル1と2を経由する路線バスである。目的地であるターミナル3には行かない。

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 15分ほど待って、バスがやってきた。

 ターミナル1と2を周るバスのルートは3パターンほどあるが、どれに乗っても間違いなくターミナル1と2には着く。ターミナル1と2は同じ導線上にある.。

 バス/パサイ 13:30頃 → ニノイアキノ空港・ターミナル2 13:40頃/料金12ペソ+1ペソ

 2枚もらったチケットはそれぞれ12ペソと1ペソだった。1ペソ値上がりしたのかもしれない。

 この日乗ったバスはエドゥサ通りの西端にあるSMモール・オブ・アジアに立ち寄ったあと、ニノイアキノ空港に向かった。


ニノイアキノ空港ターミナル2からターミナル3へ/ターミナル間連絡バスは存在するのか 
 
 ターミナル2で下車した。ターミナル2に来たのは私にとってもTさんにとっても初めてである。ターミナルのなかを覗いてみたいが、目的はターミナル3である。関係ないことをしている間にターミナル間を走る連絡バスが行ってしまっては困る。

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 ニノイアキノ空港のターミナル間連絡バスについて詳細に書いてあるサイトを見たことがない。いくつかのサイトは当てにならなかった。30分間隔で動いていると記されているサイトには発着場所やそのバスの写真はアップされていなかった。私はターミナル1、3、4を利用したことはあるが、連絡バスを見たことがなかった。

 ターミナル2で連絡バスを待つ10人ほどの乗客がいた。待っていた場所は下の写真の、掲示板のある場所とは異なるところである。バスが到着するたび、みんな右往左往していた。誰かがそのほうに行くとそれに釣られて他の利用者も付いていくといった具合である。

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 40分ほど待ってようやくバスがやって来た。来てよかった、来ないかもしれないと思っていたくらいである。無料であるはずのバス料金は有料だった。

 ターミナル間連絡バス/ニノイアキノ空港ターミナル2 14:30頃  → ニノイアキノ空港ターミナル3 14:50頃/料金20ペソ

 ターミナル間連絡バスは一般道に出てから、ターミナル3に向かう道路に入った。そうだろうと思っていた。ターミナル間を結ぶ導線がグーグルマップ上にはないからである。

 Tさんはスマートフォンに海外SIMを入れている。グーグルマップはよく機能し、マニラは予想したより道路状況がはっきりわかるという。私は海外SIMを入れていないが、とくに問題はない。

 ターミナル3に着いた。ニノイアキノ空港で一番賑やかなターミナルである。アヤラからスタートして行程の95%ぐらいのところまでやって来た。


フィリピン空軍航空博物館は休館だった

 あと700mである。目的であるフィリピン空軍航空博物館はターミナル3の正面玄関の南西側にある。簡単に行けるだろうと思ったが、空港前の道路は交通の規制などがあるようで直接行けないようである。

 ベンチでTさんがフィリピン空軍航空博物館への行き方をネットで調べ始めたとき、今日が休館日であることがわかった。

 目的施設が閉まっていた、移転していたということはときどきある。ツアーではあってはならないことだが、私たちはアマチュアである。

 アマチュアの旅人は負け惜しみで思う「日曜日に閉まる博物館はおかしい!」。


ニノイアキノ空港ターミナル3のARMY NAVY BURGERで

 最初にターミナル3に来たのは、ブスアンガ島のコロンに行ったときである。セブ・パシフィックの国内線に乗った。2013年のことである。そのときは、まさか11月に895ヘクトパスカルの台風に直撃されるとは思わなかった。救援のためにやって来た日本の自衛隊はセブ経由でレイテ島に入った。

 このあとマニラ湾に夕日を見に行くことになっていたが、時間があったのでターミナル3を歩いた。

 11日前の10月31日に私が、2日前にはTさんが泊まったザ・ウィングス(カプセルホテル)はターミナル3にある。

 ARMY NAVY BURGERに入った。ハンバーガーはちょっと変わった味だった気もするが、そうでなかったかもしれない。よく覚えていない。久しぶりにコーラZeroを飲んだ。

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SMモール・オブ・アジアへ

 さてマニラ湾に向かうことにした。

 パサイからバクララン行きのバスに乗った。昨日の朝Tさんがバクラランまで乗ったバスである。

 バス/ニノイアキノ空港ターミナル・ターミナル3 16:20頃 → バクララン 16:40頃/20ペソ

 バスのルートをグーグルマップで見ていた。SMモール・オブ・アジアに向かってほしいが、そうでない場合、どこかで下りなければならない。バクラランのバス停を過ぎたところで、バスは右折した。それは予測していなかった方角である。右折はつまり、バスがエドゥサ通りをパサイに向かって走ることを意味する。

 慌てて下車した。

 エドゥサ通りの8車線を横断した、フィリピン人のように。いやフィリピン人でもそうするのは3%いないだろう。車が途切れなく両側に流れているなか、恐怖の横断だった。

 SMモール・オブ・アジアまでの距離は約1㎞。エドゥサ通りを西に急いだ。

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 目の前にSMモール・オブ・アジアが見えてきた。入口までの導線がわかりにくいのだが、私は2度来たことがあった。

 SMモール・オブ・アジアに入った。

(後日付記)

 靴の修理屋から事業をスタートしたSMグループの創業者ヘンリー・シーは2ヶ月半後の、2019年1月29日死去した。ダイエーの創業者中内功とダブってしまう。フィリピンの長者番付トップとして、米国経済誌フォーブスの常連だった。フィリピンの所得長者番付けは中国系フィリピン人が独占している。


 SMモール・オブ・アジアは巨大ショッピングモールである。なかを横断するのに数分かかった。

 歩道橋でシーサイド・ブールバードを跨いだ。ようやく見えたマニラ湾。

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マニラ湾の夕日

 日没には間に合った。急いだのは日没時刻を知らなかったからである。

 日曜日の夕刻、多くのフィリピン人が夕日を見るために集まっていた。

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 夕日を見るためにある場所に行ったのはプノンバケン丘(アンコールワット)以来かもしれない。

 日はゆっくりと落ちていった。

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 日没の瞬間、沖行く船がシルエットになった。美しいマニラの風景だった。

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夕日のあとの夜ご飯

 SMモール・オブ・アジアで食事処に困ることはない。しかし多くのレストランは満席だった。

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 とりあえずUCC VIENNA COFFEEに入った。コーヒーフラッペ。

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 BURGOOに入った。サラダ、シーフードパスタ、サーモンのグリルとほうれん草のソース、サンミゲルなどを注文した。どれもまあまあいける味だった。

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トランスポートでビト・クルス方面へ

 21:00を過ぎてBURGOOを出た。

 タクシーで帰るしかないと思われたが、たまたまビト・クルス方面に行くトランスポートを見つけることができた。

 トランスポート/SMモール・オブ・アジア 21:30頃 → 21:50頃/150ペソ?

 トランスポートはRoxas Boulevardを北上したが、途中で右折しなかった。つまりビト・クルス駅には行かなかった。

 駅に近いところで下ろしてもらった。


移動の最後は歩き
 
 ビト・クルス通りを東に歩いた。初めて歩く道だった。10分ほどでLRT・Line1のビト・クルス駅に着いた。

 そこからさらに東に15分ほど歩いた。

 South Super Hwyという大型トラックが猛スピードで突っ込んでくる幹線道路をなんとか横断した。道路のすぐ先にあったのはフィリピン国鉄の線路である。こちらのほうは、この時間帯の列車は動いていないようだ。

 LRT・Line1のビト・クルス駅と国鉄のビト・クルス駅の間にぱらぱらと食堂はあった。

 ZENルームズ・ウエストマカティホテルにもどってきた。食事と移動と夕日の1日が終わった。タクシー、ジプニー、バス3本、トランスポートを駆使した移動の合計は25㎞程度である。

 Tさんは明日の早朝、日本に帰ることになる。私の旅はもう少し続く。

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38日目 2018年11月10日  マニラ

Tさん、マニラ到着

 メッセージが入った。バスに乗ったらしい。車内の写真が添付されていた。乗ったのはUBEエクスプレス(プレミアムエアポートバス)ではなさそうだ。

 少し経って次のメッセージが届いた「バクララン駅に着いた」。バクララン駅はLRT・Line1の起終点である。

 LRT・Line1のビト・クルス駅南東側のジョリビーの前で待ち合わせる約束をした。駅周辺にジョリビーはもう1軒ある。

 無事Tさんと待ち合わせることができた。いっしょにジプニーに乗った。Tさんはジプニーに乗るのは初めてらしい。フィリピンは2回目で、前回はセブ島を中心に旅したらしい。

 ジプニー/ビト・クルス駅 9:00頃 → ZENルームズ・ウエストマカティホテル近く 9:10頃/料金9ペソ

 ZENルームズ・ウエストマカティホテル正面の通りにジプニーは入ることができない。手前で下車し、少し歩いた。

 Tさんは時間前にチェックインさせてもらえなかった。昨日の私と同じである。荷物だけを預けることになった。レセプション前の椅子でマニラをどう周るか打ち合わせた。

 ZENルームズ・ウエストマカティホテルを出て少し歩き、再びジプニーに乗った。

 ジプニー/ZENルームズ・ウエストマカティホテル 10:00頃 → ビト・クルス駅 10:10頃/料金9ペソ

 ビト・クルス駅からLRT・Line1のルーズベルト行きに乗り、3駅目のUNアベニュー駅で下車した。

 LRT・Line1/ビト・クルス 10:30頃 → UNアベニュー 10:40頃/料金15ペソ


リサール公園へ

 T.M.カーラウ通りを西に歩いた。途中で右に折れリサール公園のなかに入った。周辺の道路はトライシクルの進入禁止区域になっているようだ。ジプニーもほとんど動いていなかった。小型の小奇麗なタクシーがこの辺りの移動を担っている。

 リサール公園は整備された公園だった。余計な装飾はなく、見晴らしはよい。ここがマニラであることを忘れてしまう雰囲気だが、長居はできない。5月ほど暑くないが、それでも30℃前後はある。

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 リサール公園という名称を持つ公園はフィリピンの至るところにある。

 リサール公園の西北にマニラホテルがあった。白を基調にして深緑の横線が入る外観は、アジアの名門コロニアルホテルのなかにあっては地味な部類に入るだろう。派手さに欠けるが、クラシカルでシンプルである。

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マニラホテルで朝ご飯

 マニラホテルのなかはクリスマスの装飾で溢れていた。日本のクリスマスはイベントだが、フィリピンはアジア唯一のカトリックの国である。日曜日の教会で祈るフィリピン人の姿は感動的ですらある。クリスマスの意味合いもまた日本とは異なるだろう。Tさんは装飾にえらく感動したようだった。

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 豪華なシャンデリアのあるラウンジのようなカフェで、ハワイアンピサ、ハロハロ(Tさん)を食べ、カプチーノを飲み、いろいろな話をした。

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 話の中心は旅である。いつものように、ということではない。Tさんと会うのは2、3年ぶりくらいである(そうではないかもしれない)。マニラホテルには随分長居してしまった。


イントラムロス

 南側の入口からイントラムロスに入った。3度目である。2000年に来たときは人がまばらにしか歩いていない、寂しい場所だった。2013年はすっかり観光地化されていた。カレッサ(馬車)が頻繁に行き来してたことに驚いた。

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 イントラムロスは1606年に完成された。スペイン統治下の政治、軍事、宗教の中心だった。ここにはスペイン人とスペイン系の住民だけが住む事を許されていた。だから今でもスペイン植民地時代の雰囲気が残っている。この街を復旧させたきっかけがイメルダ・マルコスであることは記憶しておいていい。

 イントラムロスは騒がしいマニラとは一線を画すエリアである。南北に走るルナ通りを西北に歩いた。

 シラヒス・アート&アーティファクトに入った。フィリピンに100あるといわれている民族の民芸品、アーティストの作品、書籍などが売られていたが、私たちが買ったのはアイスクリームである。

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 サン・オウガスチン教会はフィリピン石造建築の中で最も古い教会(1607年完成)である。「フィリピンのバロック様式教会群」の名称で世界遺産に登録された。

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 Tさんと私は「戦跡」を周るという予定を立てていたが、サン・オウガスチン教会はその1つでもある。イントラムロスのなかの建物は第二次世界大戦時に、米軍の攻撃で破壊された。サン・オウガスチン教会にも爆弾は直撃したが、倒壊を免れた。そのあとの地震や天災でも倒壊を免れ、「奇跡の教会」と呼ばれている。

 ルナ通りを挟んでサン・オウガスチン教会の向かい側にあるのがカーサ・マニラ博物館である。横を歩いただけである。
 
 マニラ大聖堂に入った。1571年の創建である。サン・オウガスチン教会より古い。第二次世界大戦で破壊されたが、再建された。ここも「戦跡」ということになる。ファザードは荘厳で、マニラの聖堂らしく立派である。

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 マニラ大聖堂前のローマ広場に野外の小さな図書館があった。本の持ち出し、返却ともにフリーのようだ。観光客にとってあまり関心のある場所ではないようだ。

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 ルナ通りから少し外れたところに菲華歴史博物館(フィリピンの華僑の歴史や生活をテーマにした博物館)があるが、立ち寄ったわけではない。

 周辺は官公庁街である。ソリアーノ・アベニューの西北側にはKFC、ジョリビーなどがあった。店の外装はチェーン店のそれではなく、イントラムロス仕様に、つまりクラシカルにアレンジされていた。

 イントラムロスの北にあるサンチャゴ要塞に入った。緑が多い公園でもある。

 前述のようにイントラムロスとサンチャゴ遺跡はスペインの植民地として始まった。スペインから独立したあと、米国が再び植民地化したが、日本が一時占領し日米両軍の戦闘の地となった。過酷な歴史を経て、ようやくフィリピンの財産となった。

 城塞のうえに上がった。パッシグ川が見えた。絶えず水草が浮いている川であるが、その量は少なかった。たまたま今日だけがそうなのか、上流の環境に変化があったのかはわからない。

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 サンチャゴ要塞に砲台があったはずである。そう記憶していたが、砲台はなかった、あるいは見つけることはできなかった。

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 LEGO educationによる「iMAKE HISTORY FORTRESS」が行われていた。マニラの建物のLEGO模型が展示されていた。イベントとして実施されているようだが、展示物は乏しかった。

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 要塞のなかをうらぶらした。

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 水を買った食堂で一休み。

 イントラムロスを出た。

 イミグレーションの前を通った。

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 ビザなしでフィリピンに滞在できるのは30日間である(最近までは21日間だった)と思っている人は多い。私もつい最近までそう思っていたが、それは間違っている。入国と同時に観光ビザが発給されているというのが正解で、入国スタンプは30日間のアライバルビザである。それを越えてフィリピンに滞在したい場合は、このイミグレーションで観光ビザを延長する必要がある。観光ビザは最長16ヶ月まで延長可能で、1ヶ月または2ヶ月ごとにイミグレーションに行くことになる。ダバオやセブでも延長はできるが、マニラのイミグレーションがメインオフィスである。


チャイナタウンを歩いた

 パッシグ川に架かるジョンズ橋を渡った。

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 親善門が見えた。その奥にあったのが中菲友諠門である。

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 この周辺には金融機関が多い。銀行名には英語、中国語が併記されていた。それほどチャイナタウン風ではない。通りに店は溢れていない。
 
 東に少し歩いた。雑居ビルの間の裏通りを抜けた。

 露店や小さな店が少しずつ現れてきた。徐々にチャイナタウンの雰囲気になってきたが、マニラのチャイナタウンは見た目がコテコテのチャイナタウンではない。

 サクラメント教会があった。この西側を南に行くとパッシグ川に架かるマッカーサー橋を渡ることになる。

 サクラメント教会の前に通りには噴水がある。この辺りがキアポとチャイナタウンを合わせたエリアの中心である。

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 サクラメント教会の北側にある、2つ目の親善門をくぐった。門の周辺は小さい貴金属店が並んでいた。日本人のイメージするチャイナタウンは中華料理店が並んでいる風景であるが、中華系の貴金属店もこのチャイナタウンにはある。中華系の貴金属店(金行)が多いのはバンコクのチャイナタウンである。

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 露店や小さい店が増えた。店の販売員はフィリピン人で、中華系の人たちではない。露店は車道にはみ出しているのではない、車道の端に堂々とある。露店の多くには雨除け、日差し避けのパラソルがある。露店の分だけ車道は狭くなっている。いっそのこと歩行者専用道路にすればよいのだが、露店を避けながら一方通行の車道を車、トライシクル、バイクが通っている。車道の両側にある歩道に段差はあるが、人はそういうこととは関係なく露店と車の合間を歩いている。つまり混沌としている。私たちもそういうふうに歩いた。

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 おもしろい通りなのだが、通り全体にはくすんだ雰囲気があった。

 下の2枚はカラオケボックスのようである。数軒の店があった。

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キアポを歩いた

 東に歩いたところにキアポ教会があった。

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 教会内に17世紀にメキシコから持ち込まれたブラックナザレ像がある。船上で火事に遭い、黒く焦げてしまったという説がある。ブラックナザレ祭は、黒い等身大のキリスト像が裸足の信者たちに担がれ市街を練り歩く祭りである。パレードの間に信者がキリスト像に触れようとするので毎年のように死者が出る。

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 歩いているのはキアポである。ドロテオ・ホセ駅近くの、真ん中に露店がある通りを歩いた。この辺りを歩くのは嫌である。人が多すぎて真っ直ぐ前に進めない。

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 アイセタン・デパートの前を通った。このデパートについては1年前に調べた。下は2017年10月21日の旅日記からの抜粋である。

 日本の伊勢丹は“ISETAN”であるが、マニラの「アイセタン」は“ISETANN”と、スペルの最後に“N”が2つ付く。伊勢丹のパクリであるという説があり、パクリでないという説もある。パクリであることを誰かが勝手に言うことはできるが、パクリでないと断定する場合、ネーミングのルーツを知っていないといけない。パクリでないという説の出所がアイセタン・デパートの関係者であればパクリではない。

 アイセタン・デパートのルーツはローマン・スーパー・シネラマムという映画館だった。エスカレーターとカーペットを持つマニラ最初の映画館で、席数は1,500あった。映画館は1879年に火災にあっている。経営者は劇場を壊し1985年にISETANNに売却した。ISETANNが2人の中国系フィリピン人によって創業した流通系企業であるところまではわかったが、伊勢丹をモデルにしたかどうかはわからなかった。

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 ショッピングモールのダンキンドーナツで休憩した。

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 ドロテオ・ホセ駅からLRT・Line1に乗った。

 LRT・Line1/ドロテオ・ホセ 17:30頃 → ビト・クルス 17:50頃/料金15ペソ


ビト・クルスで夜ご飯

 ビト・クルス駅に着いたときは真っ暗になっていた。夜ご飯の店を見つけるために駅周辺をざっと歩いた。

 ケニー・ロジャース・ロースターズに入った。昨日カルボナーラを食べたレストランである。ビト・クルス駅周辺ではもっともよいレストランかもしれない。メニューを見ながらおいしそうなものから注文した。シーザーサラダ、バーガーステーキ、ベーコンローストブリトー、マンゴーのスムージーなど。

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 あいかわらず旅の話で盛りあがった。それ以外の話もしたけれど。半年先の2019年のGWのフライトの一部をTさんは既に予約していた。

 Infiniteaに入った。2017年10月にトゥゲガラオで入ったのが初めてである。フィリピン全土に展開している紅茶専門店で、あちこちで見かけるようになった。客層は若い女子あるいは若い男女である。メニューは数十種類あったはずである。コーヒーのメニューもあった。

 店舗展開は加速していくだろう。Infiniteaの 1号店が日本にできる日が来るかもしれない。そういうことを書いているネットの記事はまだないはずで、この文章が最初になればいい。

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37日目 2018年11月9日 マニラ

クバオで下車した

 レガスピを出発してから隣りの席に人が座ることはなかったが、眠ることができたのは2時間くらいだった。

 目が覚めたとき、外を走る車の数は増えていた。マニラが近づいていた。

 強い雨が窓を叩き、路面はヘッドライトを反射していた。まもなく夜は明ける。そして雨は上がるだろう。繰り返されるフィリピンの天気である。遅くに目覚める者は夜雨を知らない。

 バスはパサイに向かっている、と思っていた。多くの乗客もそう思っていたはずだが、バスはパサイに入る直前、方向を変えた。最初にそのことに気が付いたのはグーグルマップで位置情報をチェックしていた私だろう。ドライバー席に行ってそのことを確認した。やはり先にクバオに向かうらしい。バスの車庫がパサイにあるということかもしれない。

 パサイとクバオを結ぶ、MRT・Line3に沿った道路はいつもひどい渋滞になるが、そうなる前にバスはクバオに着いた。

 クバオには3回来ている。いつもバス会社が並ぶ汚い通りを歩くだけだったが、今日はクバオの他のエリアを歩いてみる。

 クバオでは高架鉄道のLRT・Line2とMRT・Line3が交差している。LRT・Line2の南側でMRT・Line3の東側の一画は超高層ビルが立ち並ぶエリアである。そのなかにモールがあるようだが、店はまだ開いていない。この辺りはアヤラに似てきているが、アヤラほどではない。あまりおもしろいわけではない。

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 7:30過ぎに開いている店はジョリビーしかなかった。朝ご飯を食べた。

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Line2とLine1を乗り継いで、クバオからビト・クルスへ

 クバオでやることはなかった。予約してあるホテルに行くことにした。利用する交通機関はLineである。

 マニラの鉄道は高架鉄道の3路線(Line1~Line3)とフィリピン国鉄(トゥトゥバン駅・アラバン駅間)しかない。

 Line1とLine2はLRT(Light Rail Transit Authority)、Line3はMRT(Metro Rail Transit Corporation)である。初電(始発)はすべて5:00であるが、終電はLRT・ Line1とLine2 が21:30で、MRT・Line3は23:00である。

 この前、ネットで「Sakay.ph」というサイトを見つけた。高架鉄道の乗り換え愛内のサイトであるが、MRT・Line3のみが利用でき、LRT・Line1、Line2はcoming soonとなっていた。これでは使えない。
 
 駅構内(改札内)でLine1、Line2、Line3を乗り換えることはできない。チケットは各Lineの駅で購入しなければならない。仮にLine1のA駅からLine2を経由してLine3のB駅に行く場合(Line2を経由しないでも行ける)、下の3枚のチケットを購入しなければならない。

 1枚目  Line1 A駅   → Line1 ドロテオ・ホセ駅
 2枚目  Line2 レクト駅 → Line2 アラネタ・センター・クバオ駅
 3枚目  Line3 クバオ駅  → Line3 B駅

 Beep Card(別名Stored Value Card=SVC)を購入しチャージをしておけば、チケットを買う手間は省ける。私は利用したことはない。
 
 今日の私はLine2から Line1に乗り換える。まずはレクト駅までのチケットを買った。

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 LRT・Line2/アラネタ・センター・クバオ 8:10頃 → レクト 8:30頃/料金20ペソ

 久しぶりにLRT・Line2に乗った。3本のLineのなかで一番好きな路線である。Line1、Line3より高い位置を走るので眺めがよい。日暮里舎人ライナーの高さである。

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 Line2の車内には液晶テレビが取り付けられていた。進歩していると思ったのは一瞬で、液晶テレビで路線の案内でもしていればよかったが、ある画面に固定されたままだった。

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 通勤時間帯のLine2は混んでいた。それでもLine1の混雑よりはましである。

 Line2の終点であるレクト駅で下車した。キアポやチャイナタウンの最寄り駅である。

 Line2のレクト駅から Line1のドロテオ・ホセ駅に移動した。乗り換えは面倒くさいが、移動の途中でスラム(スクウォーター)を見ることができる。駅の連絡通路はマニラを立体的に見ることのできる場所でもある。何度も写真に撮っているのにまた撮ってしまう。

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 LRT・Line1で駅を5つ移動する。

 LRT・Line1/ドロテオ・ホセ 8:50頃 → ビト・クルス 9:10頃/料金20ペソ

 Line1は予想したとおりの混雑だった。車両の定員数の少なさ、スピードアップできないシステムが混雑の要因である。それは3本のLineすべてに当てはまる。

 ビト・クルス駅で下車した。


2つのビト・クルス駅とZENルームズ・ウエストマカティホテルへの道

 ビト・クルス駅から東に歩いた。

 グーグルマップの位置情報がおかしい、そう思いながら歩いていた。位置情報の青いドットは私の歩く方向に進んでいたが、常に1㎞ほど西側(後ろ側)を遅れて付いてきた。。

 5分ほど歩いてようやく気が付いた、ビト・クルス駅が2つあることに。

 フィリピン国鉄のビト・クルス駅はLRT・Line1のビト・クルス駅の東1㎞のところにあった。私はLRT・Line1のビト・クルス駅で下車したにもかかわらず、フィリピン国鉄のビト・クルス駅から歩いていると思っていた。そう思ってしまった理由はグーグルマップに常に表示されていたのがフィリピン国鉄のビト・クルス駅だったからである。マップを拡大していかないとLine1のビト・クルス駅が表示されない。

 Line1のビト・クルス駅から近くて安いホテルを予約したつもりになっていたが、そうではなかった。ZENルームズ・ウエストマカティホテルはLine1のビト・クルス駅から東0.4㎞のところにあるのではなかった。東1.4㎞のところにあるのだ。

 そして愚かなことに、2013年11月同じ道で似たような失敗をしていたことを思い出した。ZENルームズ・ウエストマカティホテルの東100mのところにある「24時間ホテル」に泊まったときのことである。

 そのときもこのルートを歩いた。「予想を上回る遠いところにある」と2013年11月20日のブログに記していた。そのときは位置情報を利用していなかったので、ホテルの場所が間違って案内されているのだと思ったのである。それに気づいたのは5年後の今日である。下の1枚は「24時間ホテル」である。

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 9:40頃ZENルームズ・ウエストマカティホテルに着いた。マニラで小規模の展開をしているチェーン系のホテルである。チェックインさせてもらえなかった。部屋が空いていないのかホテルのルールなのかは知らない。部屋が空いていればフィリピンのホテルは早朝でもチェックインさせてくれる。

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 リュックを預かってもらい、レセプションの前の椅子でWifiを使わせてもらった。1時間半ほどレセプション前にいた。


再びLine1のビト・クルス駅へ

 ZENルームズ・ウエストマカティホテルを出た。ホテル前の通りにジプニーは入ってきていなかった。西に少し歩いたところで交わってくる通りに出て、ジプニーを拾った。LRT・Line1のビト・クルス駅に向かうジプニーである。

 ジプニー/ZENルームズ・ウエストマカティホテルの近く 11:10頃 → LRT・Line1ビト・クルス駅前 11:20頃/料金9ペソ

 ジプニーの料金が9ペソだというのは記憶にない。これまでに乗ってきたジプニーの料金は8、10、12ペソなどの偶数だった。地方都市のほとんどは8ペソか10ペソである。


ビト・クルス駅周辺のレストランとカフェ

 ジプニーを下りビト・クルス駅周辺を歩いてみた。駅を取り囲むように食堂、カフェがあったが、スターバックスコーヒーが2軒、ジョリビーが2軒あった。タパキングやお洒落なインフィニティがあった。

 ケニー・ロジャース・ロースターズでカルボナーラ。うまくはないが、まずくもなかった。

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 COFFEE PROJECTに入った。お洒落なカフェである。延々と旅日記を書いた。どうせ今日はやることがない。

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 COFFEE PROJECTを出た。ジプニーに乗ってもいいが、歩くことにした。ZENルームズ・ウエストマカティホテルのほうに歩いた。


フィリピン国鉄の列車

 線路が見えてきた。フィリピン国鉄のビト・クルス駅である。やって来る列車の写真を撮ろうとカメラを構えたら、駅員がやって来た。

 何をしている?
 列車の写真を撮りたい
 なんで?
 旅行者だから
 そうか いいよ

 列車の写真を撮る人はフィリピンにはいない(そもそも列車に触れる機会がない)。だから私は不審者ということになる。鉄道施設を撮ってはいけないと言われたことが一度あった。しかし日本の車両が動いているフィリピンに機密事項があるとは思えない。2017年11月13日安倍晋三首相はASEAN関連首脳会議に出席するため訪問中のマニラでドゥテルテ大統領と会談した。合意内容の一部には円借款(供与限度額は約1,045億円)によるマニラ首都圏地下鉄計画がある。

 列車は40分後に来るという。トゥトゥバン行きらしい。2013年にトゥトゥバン駅からアラバン駅まで、2017年にエドゥサ駅からトゥトゥバン駅まで乗った。だから写真を撮る必要はないのだが、40分待つことにした。どうせ今日はやることがない。

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 列車はゆっくりとやって来て、ゆっくりと去っていった。それは仕方がない。走行する車両の性能が劣っているだけでなく、道床と軌道を強化しないと列車はスピードが出せない。もっとも鉄道技術ではスピードを上げるよりも安全に停止させるほうが難しい。

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ZENルームズ・ウエストマカティホテルにチェックイン

 16:00過ぎ、レセプションでリュックを受け取り、ZENルームズ・ウエストマカティホテルにチェックインした。

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 Line1のビト・クルス駅とZENルームズ・ウエストマカティホテルの間の1.4㎞の間に店はかなりあるのだが、外出するのが面倒くさくなった。

 夜ご飯をホテルで食べることにした。

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36日目 2018年11月8日 レガスピ ナガ

レガスピの朝

 7:00過ぎ、F2Mタワー(ホテル)の2階から見たマヨン山の頂には雲がかかっていた。マヨン山と港が見えるカプントゥカンの丘に行ってみようと思っていたが、どうしようか迷ってしまう。

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 8:00過ぎ、部屋を出た。F2Mタワーの同じ建物内に小さなカフェがある。朝メニューがあれば入るつもりでいたが、閉まっていた。

 レガスピは朝ご飯を求めてさまよう価値のある街ではない。朝メニューを用意している店は、レガスピの中心部にある3つのモール以外にはないだろう。

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 F2Mタワー(ホテル)から徒歩1分のところにあるパシフィックモールは閉まっていた。

 歩いている途中、看板が目に留まったダンキンドーナツは閉まっていた。

 アヤラモールのマクドナルド、チョーキン、ジョリビーが開いていた。マクドナルドに入った。フィリピンの朝メニューが掲示されていたが、マックマフィンを注文した。

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 マクドナルドを出たところで大雨になった。パシフィックモールの入口で雨宿りをしているとすぐに小降りになった。

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 9:00を過ぎてもパシフィックモールは開かなかった。開店時間になるのを待っているのは中高生たちである。昨日のこの時間は開いていたと思うのだけれど。

 F2Mタワー(ホテル)にもどった。チェックアウト時刻まで部屋にいることにした。移動に移動を重ねたミンダナオ島とスリガオからレガスピまでの強行軍の疲労はまだ抜けていない。

 11:00前、リュックを預かってもらいF2Mタワーをチェックアウトした。


港まで歩いた

 レガスピは広くない。歩いて回れる。港のほうに行ってみる。

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 方向を間違えないように歩いたつもりだったが、道は緩い曲線を描いていたようで変な方向に行ってしまった。迷った末、クエソン・アベニューにあるLCCデパートの前に出た。

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 LCCデパートとその南にあるレガスピ・ツーリストインとの間にあるケソン通りを南東に歩いた。300mほどでアルバイ湾とレガスピ港が見えた。

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 ビクトリービレッジのアーチを潜ってどんどん歩いた。

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 エンバーカデロ・モールのなかに入った。

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 エンバーカデロ・モールは広い敷地にある、古びた商業施設だった。撤退した店があり、使われていないスペースが多かった。照明は暗く、賑わっている雰囲気はなかった。日本でいうところの、昭和の香りがする商業施設である。新しい3つのモール(アヤラモール、パシフィックモール、SMモール)の敵ではない。

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 エンバーカデロ・モールを抜けたところにこんもりとした小山があった。カプントゥカンの丘のようである。

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カプントゥカンの丘に上れない

 カプントゥカンの丘の上からマヨン山を見るために来たのだが、丘に上らなくてもマヨン山は見えていた。それに相変わらず雲は山頂を覆っていた。レガスピは今朝から大雨、小雨、曇りを繰り返していた。

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 この時点でカプントゥカンの丘の上に立つ意味も動機も失われていたが、丘に上る道を探した。誰に尋ねても知らないと言う。丘の麓をぐるりと一周すれば、見つかるかもしれない。心配なのは雨だけである。雨を避ける場所はなかった。

 丘の麓を5分の4周ほどしたところに上る道を見つけた。

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 頂上への道は細く、草が生い茂っていた。整備されていない登山道といって差し支えない。上まで行くことができるかどうかわからない。近所の住人は「誰も頂上まで行かない」と言ったが、上ってみることにした。わざわざ来たのである。

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 平地から見えている、雲が覆っている山を見るために丘に上る。やることのない街での暇つぶしの手段としては上等じゃないか。

 50mほど上ったところで道はなくなった。かって道はあったのだろうが、樹木が道を塞いでいた。引き返すことにした。丘全体の樹木が刈られていないので、頂上からの見晴らしが効くとは思えなかった。「誰も頂上まで行かない」、ごもっとも。

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 結局、カプントゥカンの丘をぐるりと周っただけである。

 再び古びたエンバーカデロ・モールを通過し、港のほうに出た。


昼ご飯と午後カフェ

 来た道を歩いてレガスピの中心部にもどった。

 アヤラモールのチョーキンで遅い昼ご飯。

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 今朝閉まっていた、F2Mタワーと同じ建物内にある小さなカフェが開いていた。まずカプチーノ。そのあとドリップコーヒー。マニラのお洒落エリアにあるこのタイプのカフェが、地方都市にあることは珍しい。

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 F2Mタワー(ホテル)にもどり、預けていたリュックを受け取った。建物の名称が「Mタワー」で、その2階にあるので、F2Mタワー(ホテル)なのではないか、とふと思った。


レガスピ・グランド・セントラル・ターミナルで

 昨日下車したダラガのパン・フィリピン・ハイウェイで、ダバオ、スリガオ、タクロバン辺りからやって来るマニラ行きのバスを捕まえる手がある。そこを通るバスはレガスピを通過するが、バスの本数は多いと思われる。しかし幹線道路上で停まるか停まらないかわからないバスを待つのは賭けである。

 ナガに移動してみる方法もある。レガスピ・グランド・セントラル・ターミナルからはナガ行きの路線バスが出ている。それに乗ってナガのバスターミナルに行く。ナガからの、マニラ行きバスの本数は多い。2013年8月にこのルートを辿ったのは、ナガを見たかったからである。しかしナガ・シプコット間の鉄道に乗らなければ、ナガはおもしろい街ではない。

 結局、レガスピ・グランド・セントラル・ターミナルからマニラに向かうことにした。平凡すぎる移動手段は、昨日決めたことである。

 16:30頃、レガスピ・グランド・セントラル・ターミナルに停まっていたマニラ行きのバスは4台あった。すべてのバスに乗車してみた。どのバスからも快適性を感じなかった。料金は700ペソから1,200ペソの間である。

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 昨日ピノイ・トラベルでレガスピ発のバスを検索していた。


ピノイ・トラベルについて

 「Pinoy Travel」という名称のバス・フェリー・ホテル検索サイトがある。21のバス会社が集結したサイトである。バターントランジット、フロリダトランスポート、フィルトランコ、ジュネシスなども参加している。

 2017年10月マニラからアパリ行きのバスを検索したことがあるが、まったく役に立たなかった。1年前より使いやすくなっていることを期待したが、相変わらず役に立たなかった。

 検索の対象となるのはマニラを中心とした、限定された区間だけである。参加しているバス会社でさえ、すべてのバスが対象になっているわけではない。バス会社がいくつ存在するのかわからないフィリピンで、21社が集結した程度では話にならない。ミンダナオ島を走るバスは1件もヒットしなかった。ルソン島を走るビクトリーライナーはこのサイトに参加していなかった。

 しかも4日以降の予約でないと使えない。例えば11月8日にサイトを検索したとすると、11月8日から10日までのバスの予約ができないだけでなく、検索自体ができなかった。だからバスの本数や出発時刻など一切がわからない。その場合、4日後の11日か1週間後の同じ曜日を検索して、8日に走るだろうバスを推測するしかない。

 4日後のレガスピ・クバオ間のバスは8本あった。パサイ行きを検索してみると1本もヒットしなかった。しかしクバオ行きのバスはアラバンとパサイに停まるだろう。この区間には3つのバス会社が参入していた。6:00発1本、8:30発1本、16:30発1本、18:00発4本、18:30発1本である。料金は900、1,200、1,800ペソである。1,800ペソのバスはRoyal Sleeper Bed Aとなっていた。

 私が乗ることに決めた17:30発のマニラ(アラバン・パサイ・クバオ)行きのバスはピノイ・トラベルのサイト内にはなかった。

 フィリピンのバスを網羅するサイトを立ち上げれば、それで起業することができるだろう。


ナガを経由してマニラへ

 マニラまで800ペソは安い。バスが古いからだろう。しかし1,200ペソのバスも古く、違いがわからなかった。

 EDSHEIL Toursバス/レガスピ 17:30 → マニラ・クバオ(パサイで下車する予定を変更した) +7:00頃/料金800ペソ

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 バスは発車した。走り出してすぐに夜になった。

 19:40頃、ナガ・バスターミナルに着いた。トイレ休憩となった。ナガ・バスターミナルはまったく変わっていなかった。

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 22:00頃、バスはどこかの食堂に立ち寄った。明日はいよいよマニラである。

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35日目 2018年11月7日 サン・イシドロ マトノグ ダラガ レガスピ

深夜フェリーでルソン島へ

 サン・イシドロ港での待ち時間は6時間。フェリーの出港時刻は3:00である。

 港湾ターミナルにWifiの設備があった。窓口でパスワードをもらった。ネットには問題なく接続できた。

 レガスピの到達時間が読めそうなところまで来ていた。午前中には着くだろう。ホテルズ・ドットコムでレガスピのホテルを予約した。

 港湾ターミナルの天井で回っていた扇風機の下の長椅子には人が寝そべっていた。扇風機の下でない長椅子の一部は空いていたが、涼しそうな外のベンチで1時間ほど眠った。蚊には刺されなかった。

 フェリーに乗る直前、バスドライバーからチケットを渡された。スリガオ発車前のバスの車内で買ってあったものである。

 ファストキャット(フェリー)/サン・イシドロ 3:00 → マトノグ 4:45/171ペソ(フェリー料金155ペソ+港湾使用料16ペソ)

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バス旅はダラガで終わった

 5:00前、ファストキャットはルソン島マトノグ港に着いた。埠頭でバスに乗車した。

 フィルトランコのバスは快適さにおいてはルソン島を走るビクトリーライナーに劣るだろう。しかしフィルトランコは疾走力を見せつけるようにミンダナオ島、パナオン島、レイテ島、サマール島を走り抜けてきた。

 このままダラガまで行くのかと思ったが、6:20頃ソーソゴン・シティのフィルトランコの食堂に停車した。朝ご飯を食べる人はほとんどいなかった。みんな眠い。

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 乗客の多くはダバオからマニラまでの全区間を乗るが、スリガオからレガスピに行く私は途中乗車の途中下車である。

 職業やマニラ行きの目的は異なっても、飛行機を利用しない乗客たちの経済水準は似ているかもしれない。いわゆるフィリピンの庶民である。

 3列×2列のバスは1人当たりの席幅が狭いだけでなく、前の座席とのシートピッチも狭かった。バスのトランクに入れることができない荷物が通路をふさいでいた。後ろの席の人は荷物の山を乗り越えないと外に出ることはできない。老若男女みんなが通路の荷物を乗り越える。老いた女性にはかなり大変な運動であることは見ていてわかる。通路を人が通るときは、近くにいる者は荷物を一時抱えるなどして通りやすくする。

 バスのなかには自然と連帯感が生まれる。それはマニラ到着時に霧散してしまうものかもしれない。しかし他の国の長距離バスよりは車内には濃密な空気があった。それはフィリピンが、民族の攻防を繰り返していない島国であることと関係しているからかもしれない。

 日本の高速バスのアナウンスで繰り返される「お忘れ物などなさいませんよう・・・・」「それでは狭い車内ではございますが・・・」こういう馬鹿丁寧な言葉はもう止めたほうがいい。無意味で形式的で白々しく何も表現していない。

 隣りに座っていた人は昨夜カルバヨグで下車していた。車掌の言葉を通訳してくれていた後ろの席の人、昨日の朝のコーヒーと昼ご飯をいっしょにした人、サン・イシドロの港湾ターミナルで飲み物をくれた人たちと別れた。

 7:40頃、ダラガでバスを下りた。24時間40分のバス旅が終わった。

 下の1枚は下車した場所から100mほど離れたところにあったガソリンスタンドである。そこは2013年8月の深夜に下ろされた場所である。

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ジプニーでレガスピへ

 ダラガには古色蒼然とした教会がある。教会からは円錐形の火山が見える。しかしそれは午後の楽しみである。今はとりあえず、港湾ターミナルで予約したレガスピのホテルに向かう。

 2013年8月3日の2:00頃にはバスを下りた私にトライシクルが寄ってきたというのに、至るところにジプニーやトライシクルが待機しているパン・フィリピン・ハイウェイでレガスピ行きのジプニーを見つけることができなかった。50mの間に20台ほどあったジプニーはすべてレガスピ行きではなかった。

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 200mほど歩いたところでようやくレガスピ行きのジプニーを見つけた。

 ジプニー/ダラガ 8:20 → レガスピ・パシフィックモール前 8:35/料金10ペソ

 ジプニーはレガスピ・グランド・セントラル・ターミナルとSMモールの前を通過した。パシフィックモールの近くで下ろしてもらった。

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F2Mタワー(ホテル)にチェックイン

 F2Mタワー(ホテル)を見つけるのに少し手間取った。

 9:00前にチェックインさせてもらえた。フィリピンで早朝のチェックインを断られたことがない。ここまでの旅のなかでもっともいい部屋に泊まることになった。

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 F2Mタワーの建物は新しかった。建物から円錐形の山が見えた。残念ながら山頂付近に雲がかかっていた。

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 シャワーを浴び、少し眠った。

 
パシフィックモールの店でビコールエクスプレス

 F2Mタワー(ホテル)の1階に2軒のお洒落系のカフェがあり、通りを隔てたところにパシフィックモールがあった。

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 パシフィックモールに入った。ざっと見て回ったあと、GRACELANDという店でビコールエクスプレス(料理名)を食べた。唐辛子のココナッツミルク煮込みである。レガスピはアルバイ州の州都だが、ビコールの玄関として栄えた。ビコール州の料理があるのは自然なことであるが、「地球の歩き方」に載っていたビコールエクスプレスと目の前に出された料理の見た目はかなり違っていた。

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 GRACELANDという店はこのあとレガスピ市内でときどき見かけることになった。


レガスピ・グランド・セントラル・ターミナル(バスターミナル)とSMモール
 
 F2Mタワー(ホテル)からレガスピ・グランド・セントラル・ターミナル(バスターミナル)は遠くなかった。

 途中に線路跡が残っていた。

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 レガスピ・グランド・セントラル・ターミナルに入った。クバオ・パサイ(ともにマニラ)行きのバスのなかを覗いてみた。2列×3列シートだった。明日の夜、このバスターミナルからマニラ行きのバスに乗る。

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 どこをどれだけ探しても出発時刻がわからないのは、フィリピンの地方都市のバスターミナルの特徴である。それでもスリガオよりはましかもしれない。スリガオのバスターミナルにあったのは保険や何やら他の会社の受付カウンターだけだったのだから。

 レガスピ・グランド・セントラル・ターミナルの前にはSMモールがあった。フィリピンの長者番付け1位を守り続けたSM・プライム・ホールディングスの総裁ヘンリー・シーは2019年1月に死去した。そのイメージはダイエーの創業者中内功とダブってしまう。

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 SMモールでコーヒーを飲んだ。レシートにはKOPIの文字があった。タガログ語でコーヒーはKAPEなのだが(マクドナルドではROAST COFFEE)。

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 モールが街を侵食しているという点においてレガスピは先進的であるが、それ以外の点においては他の地方都市と変わらない。しかしダラガまで行けば様相は異なる。


ダラガへ 

 ジプニー/レガスピ・パシフィックモール前 13:00頃 → ダラガ 13:10頃/10ペソ

 ジプニーはビコール630という通りに入った。ダラガ教会に近いところで下ろしてもらった。今朝、バスを下りたところから遠くない場所である。

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ダラガ駅と廃線跡

 グーグルマップの画面でダラガ駅の表示を見つけた。住宅地を抜けて駅のあるところに向けて歩いた。初めて来る場所である。

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 途中に線路跡が現れ、その先に廃駅が現れた。

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 ホームに大きな破損はないので線路と地盤を整備すれば列車を走らせることができるだろう。しかしそうする気配を感じなかった。

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 廃駅から円錐形の山が見えた。

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フィリピン最高の景観 ダラガ教会とマヨン山

 来た道をもどり住宅地の坂を上った。ダラガ教会の手前の歩道は手すりを取り付ける工事をしていた。ダラガ教会を観光地にしようとしているのかもしれない。

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 5年3ヶ月ぶりにダラガ教会の前に立った。

 スペイン植民地時代に建てられた教会がフィリピンのあちこちにある。そのなかで気に入った教会は10ほどあるが、一押しはダラガ教会である。外装がはがれてしまうのではないかという崩れ方をしている教会である。

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 教会の背後には円錐形の火山がある。F2Mタワー(ホテル)、ダラガ駅から見えていた山である。火山と周囲の森は教会の借景であり、森は火山の前景となる。山の曲線は見事という他なく、麓まできちんと見える。形状は、中腹に噴火の跡がある富士山より整っている。

 標高2,463m。名称はマヨン山である。ビコール地方の言葉で「マヨン」は「美しい」を意味する。私は2年間くらい、この「ダラガ教会とマヨン山」をパソコンの表紙の画面にしていた。マニラに行くバスをダラガで下車したのはダラガ教会とマヨン山をもう一度見るためである。

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 平時において美しいマヨン山はときに恐怖の山となる。

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 2006年の噴火では死者行方不明者数1,300人という大惨事を引き起こした。数字の大きさはフィリピンの住環境や防災対策の不十分さも絡んでいるはずだが、それは別問題である。

 2009年の噴火では避難勧告が出された。

 2013年の噴火では観光客4人、ガイド1人が落ちてきた岩に当たり死亡した。

 2014年9月15日に10,000人、9月17日に50,000人に避難勧告が出された。

 2018年1月、 56,000人に非難命令が出された。マヨン山の半径8㎞圏内は立ち入り禁止区域内に指定され、入山禁止となった。レガスピ空港は一時閉鎖された。

 降灰によって健康被害が引き起こされるだけでなく、貧弱な建物が多いフィリピンでは雨水を含んだ火山灰の重さにより家屋が倒壊する危険がある。

 マヨン山情報はフィリピン国家災害リスク削減管理委員会やフィリピン火山地震研究所のHPで確認できるが、より的確にまとめてくれているのは外務省の安全渡航情報である。

 レガスピ市は銚子市(千葉県)と姉妹都市にある。犬吠埼にある日比友愛の碑はマヨン山がある方向に向けて建てられていることをあとで知った。マヨン山の眺望がすばらしい場所に記念碑らしきものがあったのを知っているが、何の碑なのかを確認しなかった。

 日系移民はマヨン山を「ルソン富士」と呼んだ。日本人ならこの円錐形の山を富士山と思うのは自然である。

 1時間ほどマヨン山を見ていた。山頂から雲がなくなるのを待っていたが、雲は徐々に厚みを増していった。

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 ダラガにはダラガ教会の他にカグサワ教会跡がある。のどかな風景のなかに教会の塔だけが残っている。1814年にマヨン山が大爆発したとき、住民の避難場所となった塔である。そこからもマヨン山は見えるのが、今日、山頂の雲はなくならなだろう。

 (参考)フィリピン国鉄。ナガ、シポコット間の列車が動いている。


ダラガを歩いたあとレガスピにもどる

 ダラガを少し歩いた。今朝レガスピからのバスを下りたところまで歩いてみた。あまりおもしろくはなかった。

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 レガスピにもどることにした。レガスピ行きのジプニーは頻繁に走っていた。

 ジプニー/ダラガ 16:00頃 → レガスピ・パシフィックモール前 16:10頃 /10ペソ

 ジプニーはレガスピ・グランド・セントラル・ターミナルとSMモールの前を通過した。パシフィックモールの前で下車した。


レガスピ駅 運休しているビコールエクスプレス フィリピンの鉄道の未来

 レガスピ駅まで歩いてみた。

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 レガスピ駅は封鎖されたままだった。2013年に来たときと変わっていなかった。ホームが子供たちの遊び場になっていることを含めて。

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 お昼にパシフィックモール内のGRACELANDで食べた「ビコールエクスプレス」は料理名であるが、フィリピンには「ビコールエクスプレス」という列車が走っていた。

 2012年10月の大型台風の影響でサリアヤ町の鉄橋が流されビコールエクスプレスは運休になってしまった。しかし2016年に復旧した。マニラと南カマリネス州ナガ間の377㎞を走ったのは、寝台特急「北陸」の車両である。

 もし動いているのなら、この旅でビコールエクスプレスに乗ろうと思っていた。しかし「ビコールエクスプレス」はまた運休になってしまった。まだ使用できるはずの「北陸」はどこかの駅に放置されているはずである。

 2013年6月に日本が提案したフィリピンの鉄道事業の計画書である「フィリピン国 大都市圏における鉄道戦略調査(クラーク・マニラ首都圏間)ファイナルレポート」はフィリピンの鉄道の未来を語るドキュメントである。JICAと民間3社が作成した資料の宛先はフィリピン国運輸通信省となっていた。この資料を読んだことがある。

 2017年11月13日安倍晋三首相はASEAN関連首脳会議に出席するため訪問中のマニラでドゥテルテ大統領と会談した。マラウィ(ミンダナオ島)の復興と治安維持についてはもちろん話し合われたが、合意内容の一部に円借款による「マニラ首都圏地下鉄計画(フェーズ1)」があった。供与限度額は約1,045億円である(外務省HP)。

 上の2つには、ビコールエクスプレスの走る区間の整備は含まれていない。日本のODA関連事業も馬鹿ではないのだから、採算の見込めない鉄道事業に投資はしない。例えビコールエクスプレスを走らせることができても、マニラ、ナガ間を10時間で結ぶバスに対抗することはできないだろう。

 フィリピン人はもちろん鉄道を運営できる。ルソン島南部のナガ駅とシプコット駅の間を乗ったとき、列車の運行は完璧だった。往復ともに1分も遅れなかった。地元の人に利用され愛されている鉄道であることはすぐにわかった。動いていたのは古い日本の気動車である。列車は日本の無償援助によるもので、車内改札をしていた車掌に礼を言われた。

 (参考)田園風景、イリガ山、日本の懐かしい気動車。


夜ご飯と夜食

 夕暮れのレガスピをぶらぶらした。

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 レガスピ駅からパシフィックモールにもどる途中にアヤラモールがあったので入ってみた。わりとすっきりしたモールで多くのレストランが入居していた。

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 ビッグス・ディナーでビーフ・サルピカオ(牛肉の炒め物)。うまくもなく、まずくもなかった。ガーリックライスより普通のご飯のほうがよかった。

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 フィリピンのレストランでの食事の分量は多くない。夜ご飯のあと、ときどきコンビニエンスストアやベーカリーで夜食用の何かを買っている。下の写真はレッドリボンで買ってきた夜食用の菓子である。レッドリボンはフィリピンのところどころで見かける店である。

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 フィリピンは公的書類の偽造が多いと言われているが、DFA認証を得ておけば偽物ではないという証明になる。海外の機関ではDFA認証を正式な書類として受理している。DFA(Department of Foreign Affairs)は(フィリピン)外務省のことである。DFA認証を受けた書類には赤いリボンが付くので、レッドリボンと呼ばれている。

 菓子店「レッドリボン」はおそらく「お墨付きを得た」「信頼性が高い」という意味を込めたネーミングだろうと思われる。

34日目 2018年11月6日 スリガオ リバータ リロアン サン・イシドロ

スリガオ・バス&ジプニー・ターミナルまで

 6:00前、ビーペンションをチェックアウトした。大雨は止んでいた。あちこちにある水溜まりは、私がこの街を出る頃にはなくなっているだろう。まもなく照り始める太陽は深夜の雷鳴と降雨の跡を消し去るだろう。

 それでも毎夜、大雨が降ることは人の記憶に重ねられていく。人はそうやって自然のなかでときを刻む。

 ジプニーが動いている気配はなかった。マクドナルドのあるリサル・ストリートに出ようと歩き始めた私の横を走り去ったジプニーはなかった。何台かのトライシクルが通過していった。昨日の早朝、カガヤン・デ・オロでトライシクルが動いていなかったのとは対照的である。

 トライシクルが声を掛けてきた。150ペソと無理難題を吹っ掛けてこないところがよい。提示された金額はストライクゾーンをやや高めに外れたボールであるが、暴投ではない。まともな旅人は朝っぱなからマウンドに詰め寄って料金交渉などしない。50ペソならまあいいか。行きたい場所まで4㎞以上の距離がある。

 ガタガタと悪路を走るトライシクルの揺れは眠気を覚ました。フィリピンの現実が徐々に体に伝わってきた。

 トライシクル/ビーペンション近く 6:00頃 → スリガオ・バス&ジプニー・ターミナル 6:10頃/料金50ペソ


フィルトランコのバスでレガスピ(ダラガ)をめざす

 スリガオ・バス&ジプニー・ターミナルにはパサイ・クバオ(ともにマニラ)行きのバスが停まっていた。予想した通りである。そのうち1台はフィルトランコのバスである。残りは知らない会社のバスだった。

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 フィルトランコのバスに乗り込んでみてがっかりした。3列×2列である。通路にはぎっしりと荷物が並べられていた。外側のトランクルームに車掌が無理に荷物を詰め込もうとしていた。

 乗るかどうか迷った。もしかしたらこのあとダバオから2列×2列のバスがやって来るかもしれない。もちろん2列×2列のバスがやって来る保証はない。そもそもマニラ行きのバスが都合よく来るかどうかもわからない。

 目的地はルソン島のレガスピである。ミンダナオ島→パナオン島→レイテ島→サマール島→ルソン島を走りぬける。そのうちミンダナオ島からパナオン島まで、サマール島からルソン島まではバスごとフェリーに乗船する。パナオン島からレイテ島、パナオン島からサマール島は橋を渡る。

 2013年8月、まったく同じルートをバスで旅した。このときのスケジュールは以下の通りである。

 1日目/2013 年8月1日 スリガオ → タクロバン /タクロバン到着は23:00過ぎ タクロバン泊 
 2日目/2013年8月2日 タクロバン → ダラガ  /この日のうちにダラガに着かなかった。 
 3日目/2013年8月3日 ダラガ到着は3日目の2:00になった。真夜中、トライシクルでレガスピに移動し、レガスピのホテルに泊まった。

 2013年は、実質2日間(名目3日間)かけてスリガオ・レガスピ間を移動した。今回は同じルートを1本のバスで行くつもりである。途中で宿泊しない。

 そういうわけでレガスピの到着時刻がまったく読めない。途中の2本のフェリーの出港時刻を知らないし、港湾ターミナルでの待ち時間もわからない。

 わかっていることは24時間を超えるということだけだ。だからせめて2列×2列のバスに乗りたい。もっとも2列×2列が快適さを保障してくれるわけではない。

 フィルトランコというブランドに賭けてみる。2013年この区間で私が乗った、どうしようもなく駄目なバスをあざ笑うようにフィルトランコは駆け抜けていった。それ以来、私はフィルトランコに畏敬の念を抱いている。

 フィルトランコの3列×2列のバスに乗ることに決めた。バスは満席に近かった。バスを埋めていたのは始発であるダバオから乗った人たちである。すでに11時間バスに揺られてきた人たちのなかに埋没することになった。


5つの島を駆け抜けるバス旅が始まった

 フィルトランコ/スリガオ・バス&ジプニー・ターミナル 7:00 → ダラガ(レガスピの西5㎞) 到着時刻不明/料金874ペソ(2本のフェリー料金は含まれていない)

 7:00、バスは発車した。

 ♪さあ行くんだ その顔をあげて
 ♪新しい風に 心を洗おう

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 スリガオ中心部を抜け、スリガオ川を渡り水上家屋のあるエリアを通過した。この水上家屋に入らせてもらったことがあったので、この辺りの風景をよく覚えていた。

 スリガオ・バス&ジプニー・ターミナルを出発してから30分ほど走ったところでバスは止まった。

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 リパタ港の手前にある食堂で朝食になった。想定内である。2013年8月1日はこの場所で5時間ほど時間をつぶすことになった。

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 (参考)再びの「2:00PM」。海峡を越えるバスに第九は響くのか。バスはレイテ島で「謎の反転」。

 食堂でコーヒーを飲んだ。袋入りのコーヒーを買い、お湯を入れて飲むインスタントコーヒーである。

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 いっしょにコーヒーを飲んだフィリピン人と話しながら乗船したので、乗船時間や船の本数を確認し忘れた。おそらく1日4本就航しているはずである。

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 ファストキャット(フェリー)/リパタ 8:30 → リロアン 11:30/乗船料金300ペソ、港湾使用料30ペソ。

 ファストキャットの船体は2013年に乗ったものとは異なっていた。私が乗船した日から1年1ヶ月後の2014年9月、この航路で乗客58人と乗員26人を乗せたフェリーが沈没した。悪天候による高波と激しい海流でフェリーは操縦不能になり、乗客と乗員が海に飛び込んだ。通報を受けて救助に駆け付けた船が2時間で32人を救助し、さらに2隻の船が23人を助けた。しかし29人は行方不明になった。沈没したのが2013年に私の乗った船体であるかもしれない。

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 フェリー沈没のニュースはときどき日本にも伝えられる。その多くはフィリピンとバングラデシュからである。

 船旅が楽しいのはギリシャ、フィリピン、バングラデシュである。

 ギリシャは「私の旅先の永遠の1位」である。文明を生んだ知性の海であるエーゲ海を行くギリシャの船旅をひとまず除いてみる。そうすると沈没ニュースに接することの多いフィリピン、バングラデシュが残るわけだが、この2国の船旅を楽しいと感じてしまう。観光客が1人も乗っていない、観光地に行かない、オンボロ船である、フィリピンの普通の人たちのなかに入るなど具体的な理由を挙げることはできるが、そうではない何かがまだあるのかもしれない。

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 ファストキャットはパナオン島の北の端まで航行した。

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 接岸直前、マンタが船の横を泳いだ。近くにいる人が「撮れ撮れ」と教えてくれたが、間に合わなかった。

 ファストキャットを下船しバスに乗り込んだ。

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 走り出したバスはすぐに停車した。

 食堂で昼ご飯になった。朝方いっしょにコーヒーを飲んだフィリピン人と昼ご飯を食べた。始発のダバオで乗車した人で、終点のマニラまで乗るようだ。マニラで働くらしい。ダバオからスリガオまでは11時間、レガスピからマニラまで10時間かかるので、私より20時間以上長くバスに乗ることになる。ダバオからマニラまで走るバスはフィリピンの最長区間バスである。このバスに乗っている人の多くはマニラまで行く人たちで、ダバオからマニラまでの高い航空料金を避けた人たちである。

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 再び走り出したバスはすぐに赤い橋(ファストキャットの船内から見えていた)を渡った。バスはレイテ島に入った。

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レイテ島を北上した

 フィリピンの田舎では、集落に入る道路の路面にハンプ(緩やかな小さな盛り上がり)を設け、侵入車のスピードを落とさせるようにしている。必要なところもあるが、無駄であることも多く交通の障壁になっている。

 それとは別に通学区などで子供が歩いているとき、車は確実にスピードを落とす。これはフィリピンのよいところである。

 ミンダナオ島とは異なりレイテ島の道路はよく整備されていた。タクロバンを除いてレイテ島に大きな町はないようで、その分ジプニーやトライシクルの数少ない。フィルトランコのバスをこれらの走行条件をフルに活用し、レイテ島を駆け抜けた。

 ドライバーはどこでスピードを出し、どこでスピードを落とせばよいかよくわかっていた。それを活かす運転技術があった。加速と減速のメリハリを利かせながら、小さなトライシクルに配慮しつつ、抜くときは一気に抜き去り、気持ちのよい運転をした。運転のへたくそなバスドライバーが多いフィリピンにあって、爽快感あふれる運転だった。さすがフィルトランコ。

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 14:40、タナウアン通過。車が急に増えた。

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 14:50、パロ通過。

 15:30、タクロバン市内のフィルトランコの食堂で休憩。何も食べなかった。乗っているだけなのに疲れていた。タクロバンの街の中心部には入らなかった。

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 タクロバンには、マッカーサー・ランディング・メモリアル・パークがある。今回は通過するだけであるが、私も一応”I shall return!”を果たした。

 (参考)判断ミス。サマール島を抜けてしまう。レガスピの到着時刻を予想せよ。


サマール島に入った

 16:15、レイテ島とサマール島をつなぐサン・フアニーコ橋を渡った。この橋はこのルートの最大の目玉である。2017年にレンタカーで渡った角島大橋(山口県)をほうがきれいであるが、カーブが急である分、サン・フアニーコ橋のほうがおもしろい。写真を撮るためカメラを構えていたが、画面のなかにきれいな構図で橋が写り込んではくれなかった。

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 橋の途中で車を止め、写真を撮っている人たちがいた。ここを車で通ったら、私もそうするかもしれない。

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 サマール島に入りバナナの木が増えた(ような気がする)。

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 18:30頃、カトゥバロガンを通過したはずだが、街の中心部に入らなかったのでよくわからなかった。2013年8月2日カトゥバロガンでバスを乗り換えた。

 19:30頃、夜のカルバヨグで隣りに座っていた人が下車した。

 19:45、フィルトランコ専用の食堂で食事休憩になった。何かを食べる気がしなかった。

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出発は6時間後、ルソン島に渡るフェリー

 真っ暗ななかバスはさらに走った。

 そして予想外の場所に停車した。どうやら森のなかのようである。車窓の奥のほうに船らしきものの明かりが見えた。

 グーグルマップで確認してみた。位置情報の青いドットはアレンの南20㎞のところにあった。ここが港のようだ。2013年8月にはアレンからルソン島に渡った。港が変更されたのか。それともフィルトランコのバスは当時からこのサン・イシドロ港を乗り場としていたのかもしれない。

 これから乗るフェリーの名称はファストキャットである。今朝リパタ港(ミンダナオ島)からリロアン港(パナオン島)まで乗ったフェリーと同一会社である。バスの後方にはファストキャットの広告が掲載されている。ファストキャットはフィルトランコの系列会社かもしれない。

 フェリーの出航時刻は翌日3:00だった。港湾ターミナルで6時間待ちである。何のためにレイテ島、サマール島を疾走したのだろう。

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 もう1本前のフェリーの出港時刻に間に合わせようと力走した可能性がなくはないが、ドライバーが港湾ターミナルで取る休憩時間を長くしたかったということも考えられる。さすがフィルトランコ、されどフィリピン。

33日目 2018年11月5日 カガヤン・デ・オロ ブトゥアン スリガオ

早朝のアゴダバスターミナル

 5:20頃ザ・ロフトインをチェックアウトした。早朝出発が身に付いてきた。

 ミンダナオ島の旅を続けるには朝が大事になってくる。目的地の到着時刻が読めないフィリピンのバス旅をうまくコントロールしていくために、早朝からの行動は欠かせない。

 しかしどんなに早起きしてもフィリピン人には負ける。暗いうちから大勢の人が活動を始めている。

 早すぎるカガヤン・デ・オロ・の朝、トライシクルは動いていなかった。ジプニー探すのに手間取った。この街のジプニーの路線網はわかりにくい。北に行きたいからと北に向かうジプニーに乗ればよいというものではない。

 偶然、アゴラバスターミナルに向かうジプニーを見つけた。アゴラバスターミナルという呼び名は通用した。アゴラバスターミナルはカガヤン・デ・オロ・バスターミナル・イーストバウンドの通称である。

 ジプニー/ザ・ロフトイン付近 5:40頃 → アゴラバスターミナル 5:50頃/料金10ペソ

 アゴラバスターミナルで下車した。

 目的地はスリガオであるが、スリガオまで行くバスがないことは昨日確かめてあった。すべてのバスはブトゥアン止まりである。

 ブトゥアンでの乗り継ぎがうまくいくかどうかわからない。カガヤン・デ・オロからのバスが到着するバスターミナルとスリガオ行きが発車するバスターミナルが異なることは考えられる。グーグルマップでバスターミナルは1つしかヒットしなかったが、人口は33万人である。街は大きいのでバスターミナルが2つある可能性は高い。

 水のボトルを買ってブトゥアン行きのバスに乗り込んだ。バッチロール・ツアーズのバスには2013年ダバオからスリガオまで乗ったことがある。

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 ブトゥアンまでは198㎞。料金400ペソは高いが、その理由はすぐにわかった。バスのシートピッチは広く、トイレが付いていた。


バッチロール・ツアーズのバスでブトゥアンへ

 バッチロール・ツアーズ/カガヤン・デ・オロ・アゴラバスターミナル 6:15頃 → ブトゥアン・トランスポート・ターミナル 12:00予想/料金400ペソ

 ブトゥアン行きのバスは発車した。

 7:35、バリンガサッグ・バスターミナルに着いた。

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 ※本ブログで「***インテグレィティッド・バスターミナル」「***インテグレィティッド・バス&ジプシー・ターミナル」「***バスターミナル・イーストバウンド」「***トランスポート・ターミナル」などと表記している場合は、正式なターミナル名である。上のバリンガザッグ・バスターミナルのように、「地名+バスターミナル」となってる場合、私が便宜上そのように表記しているだけで、正式名称は別にあるはずである。

 7:58、サレイ・バスターミナルに着いた。

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 8:25、バリンゴーン・ジープ&マルティキャブ・ターミナル。このターミナル内で、BENONIというところに行く船のチケットを販売していた。北20㎞のところにある島の港だと思われる。

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 最前列に座っていたが、全面展望は効かなかった。スーパーハイデッカーの座席が高すぎた。

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 9:30、ヒンゴオグ・バスターミナルに着いた。

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 10:40、カーメン・インテグレィティッド・バスターミナルに着いた。

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 11:00、ナシビット・バスターミナルに着いた。


連絡バスでターミナル移動 ブトゥアンで

 11:35、ブトゥアン・トランスポート・ターミナルに着いた。このバスの終点である。12:00の到着を予想していたが、よく走ってくれたバッチロール・ツアーズ。

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 ブトゥアンの街にバスターミナルは2つあった。到着したバスターミナルからスリガオ行きは出ていなかった。

 2つのバスターミナルを結ぶ無料の連絡バスが動いていた。

 バッチロール・ツアーズ・連絡バス/ブトゥアン・トランスポート・ターミナル 11:50 → ブトゥアン・インテグレィティッド・バスターミナル 12:15/無料

 連絡バスはうんざりするほどゆっくりと、非直線的にブトゥアンの街を走った。

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 ブトゥアン・インテグレィティッド・バスターミナルで待っていたのは小型の路線バスだった。カガヤン・デ・オロから乗ってきたバスも、連絡バスも、これから乗るバスもバッチロール・ツアーズだった。

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ブトゥアンからスリガオへ

 バッチロール・ツアーズ/ブトゥアン・インテグレィティッド・バスターミナル 12:30 → スリガオ・バス&ジプニー・ターミナル 15:00予想/料金226ペソ

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 13:05、シティ・ランド・トランスポート・ターミナルに着いた。

 13:50、ジャボンガ・バスターミナルに着いた。

 14:15キッチャラオ・ランド・トランスポート・ターミナルに着いた。

 14:20、アレグリア・インテグレィティッド・トランスポート・ターミナルに着いた。

 車窓がつまらなかったので、立ち寄った街とバスターミナルをチェックしていたが、途中でその気が失せた。上に4つのバスターミナルを挙げてみたが、これら以外にも多くの場所にバスは停まり客を乗せた。乗客フレンドリーなバッチロール・ツアーズ。

 226ペソも払ったのだから、129㎞を疾走してほしかった。

 雨になっても心配する必要はない。すぐに晴れる。フィリピンで気象予報士になるのは難しくない。「雨のち晴」と言っておけば、大半の天気予報は当たる。

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 左手にメイニット湖が見えた。

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2013年7月31日のブログより

 ブトゥアンからスリガオの区間をバスに乗るのは初めてではない。ダバオからスリガオまでのバスに乗ったとき、このルートを通った。そのときのバスはダバオ市内をゆっくり走っていたが、ブトゥアンからスリガオまではかなりスピードを出したのを覚えている。

 以下は2013年7月31日の記事である。

 ブトゥアンに14:50着。ここはそれなりに大きな街で空港もある。ここに着いたとき、全員降りてしまい、客は私1人になった。しかし出発前に客が大勢乗ってきて、立っている人も出るくらいになった。15:20に発車する。私がミスタードーナッツでドーナツを買って席ももどったら、隣りの女性はダンキンドーナツの箱を持っていた。少し話す。スリガオで洋服の店をやっているらしい。

 サンティアゴのあとジボニカに着く。左手にメイニット湖が見える。湖の奥に夕日が沈みかける。美しい夕暮れがバス旅の終わりを告げる。



スリガオに泊まる

 15:40、スリガオ・バス&ジプニー・ターミナルに着いた。予想したより40分ほど遅いが、仕方がない。

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 スリガオを夜に出発するマニラ行きはあるはずである。2013年にはあったと記憶している。しかしバスを下りるときには、今日この街で泊まることに決めていた。

 ジプニーでマクドナルドに向かった。マクドナルドは街のほぼ中心にある。

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 ジプニー/スリガオ・バス&ジプニー・ターミナル 16:00頃 → マクドナルド近く 16:15頃/料金10ペソ 

 マクドナルドの近くで下ろしてもらい、2013年に泊まったレオモンディー・ホテルのほうに歩いた。途中、道を間違えた。迷ったところにあったのがビーペンションである。リゾートホテル・テイストではあるが、実態は田舎の場末のホテルである。陽があるうちに、久しぶりのスリガオを歩いてみたいので、このホテルに泊まることにした。

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スリガオを歩いた

 リュックを部屋に置いてすぐに外に出た。

 ビーペンションの近くにフィリピン・シティ・パイロット・スクールがあった。校門の上にはスクールID(132???)が記されていた。下校時と重なったようで、一斉に生徒が出てきた。小学校の下校時間が遅いことにまず驚いたが、低学年の生徒もいたので何かの行事日だったのかもしれない。生徒は続々と出てきた。歩いて帰る生徒、何人かでトライシクルに乗る生徒、生徒を待つトライシクル、迎えにきている保護者がいて校門前は賑やかだった。生徒数の多さにフィリピンの潜在力を感じざるを得なかった。校門にいた小学校の管理者らしき人に写真を撮っていいかを尋ねたが、やんわりと拒否された。これはちょっと予想外だった。

 スリガオはフィリピンの標準的な地方都市である。標準的でない地方都市を、地方都市のなかから見つけることはフィリピンでは難しい。

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 適当に街なかを歩いた。すぐに夜になった。港にはいかなかった。

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 イナサルで夜ご飯。

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 教会は夜になっても忙しい。

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 フィリピンの街のところどころでは夕方から煙が立ち始める。路上の焼き鳥屋が営業を始めるからである。久しぶりの焼き鳥はうまかった。焼き鳥屋にビールがあった試しがない。

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 さっき通ったフィリピン・シティ・パイロット・スクールの校門は閉じられていた。

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スドー ちょこっとクリアフィーダー 3個入り

トランスポートで、イリガンからカガヤン・デ・オロまで

 コジィインをチェックアウトし、早朝のイリガンを歩いた。活気がある楽しい街だ。ベーカリーが目立っていた。

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 ミスタードーナツで朝ご飯。

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 イリガンからカガヤン・デ・オロまでバスで移動する。カガヤン・デ・オロはイリガンの東北方向にある。本来はノースバウンドに向かうべきだが、昨日、ディポログから乗ってきたカガヤン・デ・オロ行きのバスが停まったのはサウスバウンドである。

 どちらに行こうかを迷ったが、ジプニーでサウスバウンドに向かった。

 ジプニー/イリガン中心部 9:00頃 → イリガン・バス・ジプニー・ターミナル・サウスバウンド 9:10頃/料金8ペソ

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 イリガン・バス・ジプニー・ターミナル・サウスバウンドに着いた。出入口付近にトランスポートの乗り場があることは知っている。昨日ここに3度来ている。

 カガヤン・デ・オロまで120ペソらしい。バスよりトランスポートのほうが料金は高いが、スピードは速い。80㎞を乗る料金としては高くない。

 一応、ターミナルの奥にあるバス乗り場にも行ってみた。バスは停まっていなかった。「さっきカガヤン・デ・オロ行きが出ていった」と近くにいた人が教えてくれた。次の発車時刻を知っている人はいなかった。

 トランスポートの乗り場にもどった。

 カガヤン・デ・オロ行きトランスポートの席の半分は埋まっていた。すぐに発車するだろうと思った私は料金を払い、空いている運転席の横の席に乗り込んだ。外は暑いが、なかはエアコンが効いていた。

 これは判断ミスだった。運転席横の席で1時間20分待つことになった。

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 途中ドライバーはどこかに行った。その間にバスが6台くらい入ってきて出ていった。それらのバスの行き先を確認することはできたが、そうしなかった。カガヤン・デ・オロ行きのバスだったら嫌だからである。

 トランスポートは発車した。

 トランスポート/イリガン・バス・ジプニー・ターミナル・サウスバウンド 10:40頃 → カガヤン・デ・オロ・バスターミナル・ウエストバウンド 12:00頃/料金120ペソ

 トランスポートはかっ飛ばした。その走りには満足している。

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 カガヤン・デ・オロの中心部近くでほとんどの乗客は下車した。

 ホテルに泊まるのならどこかで下車したほうがいいのだが、終点まで乗ることにした。確かめておきたいことがあったからである。


カガヤン・デ・オロ・バスターミナル・ウエストバウンドで

 終点のバスターミナルに着いた。ターミナル名にウエストバウンドという名称が付いていた。それはこの街にバスターミナルは最低2ヶ所あるということである。

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 カガヤン・デ・オロ・バスターミナル・ウエストバウンドでスリガオ行きのバスについて尋ねた。

 スリガオに行くためには、イーストバウンドに行かなければならないことがわかった。そのイーストバウンドからもスリガオ行きのバスは出ていないようだ。まずブトゥアン行きに乗り、乗り換えることになるらしい。イーストバウンドは東バスターミナルのことで、地元ではアゴラバスターミナルと呼ばれている。これだけわかれば十分である。

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ザ・ロフトインにチェックイン

 ジプニーが溜まっているところを見つけた。

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 街の中心に行きたいとドライバーたちに伝えた。具体的にどの場所なのかと聞かれた。グーグルマップで適当な交差点を示した。その辺りに行くジプニーが見つかった。

 ジプニー/カガヤン・デ・オロ・バスターミナル・ウエストバウンド 12:30頃 →  TIRSO NERIストリート 12:45頃/料金10ペソ

 TIRSO NERIストリートの真ん中は公園のようになっていた。街の中心のようだが、地味だった。それでもマクドナルド、ミスタードーナツ、バーガーキング、INASAL、チョーキンが出店していた。TIRSO NERIストリートから南に歩けば、3軒ほどのホテルがあることをあとで知った。

 北に300mほど歩いたところにあったザ・ロフトインに入った。外装はファストフードの店のようである。部屋を見せてもらい、泊まることにした。

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 部屋で少し休憩した。エアコンの音がうるさかった。

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アゴラバスターミナルへ

 アゴラバスターミナル(カガヤン・デ・オロ・バスターミナル・イーストバウンド)に行ってみることにした。明日のスリガオ(あるいはブトゥアン)行きの有無を確かめておきたい。

 グーグルマップは動いている。東北方向にじぐざぐに歩いた。

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 道にユニクロの袋が落ちていた。フィリピンでの快進撃を象徴する光景である。すでにフィリピン国内で50店ほどを展開し、もうすぐアヤラ(マニラ)に東南アジア最大の旗艦店ができる。

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 暑いなかを2㎞ほど歩き、アゴラバスターミナルに着いた。

 大きなバスターミナルである。市場が併設されていた。

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 カガヤン・デ・オロ・バスターミナル・ウエストバウンドで言われたことと同じだった。スリガオ行きのバスはなかった。ブトゥアン行きに乗り、乗り換えることになる。

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リムケットカイ・モールで

 アゴラバスターミナルの北側にジプニー乗り場があった。トライシクルは数十台停まっていた。

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 リムケットカイ・モールに行ってみることにした。たまたまグーグルマップに表示されたからである。

 ヴァレンスエラ・ロードを南に800mほど歩いた。

 リムケットカイ・モールの辺り一帯は再開発されたエリアで、スターバックスコーヒー、マクドナルドが進出していた。

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 リムケットカイ・モールは、なかにはロビンソン・デパートがある巨大なショッピングモールだった。なかをぶらぶら歩いた。暑いフィリピンの旅のなかで、体を冷まし休ませる場所としてショッピングモールは重宝する。どこも代り映えしないけれど。

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 隣にはSMモールがあった。


TIRSO NERIストリート周辺を歩いた

 リムケットカイ・モールを出た。TIRSO NERIストリートに行くジプニーはすぐに見つかった。

 ジプニー/リムケットカイ・モール前 15:30頃 →  TIRSO NERIストリート 15:40頃/料金8ペソ

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 TIRSO NERIストリートをぶらぶら歩き、途中にあった店でナコスを食べた。まったくうまくなかった。

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 TIRSO NERIストリートから3本南にあるのがガアラン・ストリートである。通りの周辺にガストン公園、セント・オーガスティーン・メトロポリタン大聖堂、ザ・エグゼクティブ・ビルディングがあった。

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 下の3枚はガストン公園。なぜ多くの人が集まってくるのかわからない、平凡な公園である。公園に魅力はなくても、人口増の国の力を感じる。失われつつある国の公園には人がいない。

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 下の3枚はセント・オーガスティーン・メトロポリタン大聖堂。今日が日曜日であることは教会で知ることができる。

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 下の2枚はザ・エグゼクティブ・ビルディングである。端正なコロニアル風な建物は旧市庁舎である。

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 TIRSO NERIストリートにあったBAGONG LIPUNAN RESTAURANTに入った。地元の食堂である。Chicken Pancit Guisadoチキン・パンチ・グギサドを食べた。Pancitはフィリピン風焼きそばのことで、Guisadoは麺の種類を表しているらしい。他にPancit Canton、Pancit Palabokなどがある。

 サンミゲルに氷が付いてこようとは(氷を引き取ってもらった)。

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31日目 2018年11月3日 ディポログ オザミス イリガン マラウィ

ディポログ・パブリック・トランスポート・ターミナル

 深夜に目が覚めた。雷鳴が轟いていた。豪雨のようだが、部屋には窓がないので外の様子を確認できない。雷がホテルに落ちないように思ったことは覚えている。いつの間にか寝ていた。

 6:00過ぎ、GVホテルをチェックアウトした。道路は濡れていた。

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 10分ほど歩いて、ディポログ・パブリック・トランスポート・ターミナルに着いた。

 バスが何台か並んでいた。そのうちの2台がカガヤン・デ・オロ行きであったことに驚いた。

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 カガヤン・デ・オロ行きのバスは、今日の目的地であるイリガンを経由する。

 最初にオザミスまで行き、そこでフェリーに乗る。フェリーを下りたあとはまたバスに乗る。乗り継ぐバスは路線バスになると思っていたが、カガヤン・デ・オロに行きのバスに乗るということは、バスごとフェリーに乗り込み、フェリーが対岸に着いてからもそのバスに乗っていくということである。時間は短縮できる。

 2台のバスのうちの1台は昨日乗ったRural Transportのバスである。もう1台にはスーパー・ファイブという名称が付けられていた。Rural Transportのバスにはうんざりしていたのでスーパー・ファイブのバスに乗ることにした。

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まずはオザミスまで

 スーパー・ファイブ・バスは定刻に出発した。

 スーパー・ファイブ・バス/ディポログ・パブリック・トランスポート・ターミナル 6:30 → オザミス・インテグレィティッド・バス&ジプニー・ターミナル 14:30予想/料金265ペソ

 バスはイピル・ディポログ・ハイウェイを走った。途中、町や集落は多くなかった。

 バスはほとんど停車することなく田舎の風景のなかを快走した。

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 7:30、カランバ・インテグレィティッド・バスターミナルに入った。マーケットが併設されていた。

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 7:40、またバスターミナルに入った。おそらくPlandelという町のターミナルである。バスを下りるとき、フィリピン人は出発時刻を確認しない。フィリピンだけではなく、ほとんどの国の長距離バスで乗客はドライバーに出発時刻を確認しない。2年くらい前から私も尋ねなくなった。

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 バスターミナルの食堂で朝ご飯を食べた。ムスリムのイメージが濃いミンダナオ島で豚肉を食べることができた。豚の角煮はフィリピンの隠れた名物料理かもしれない。

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 Plandelのバスターミナルにいたとき大雨になったが、走り出してすぐ雨は止んだ。

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 9:10、ヒメネス・インテグレィティッド・バスターミナルに着いた。

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 バスはイリガン湾沿いを走ったが、海はあまり見えなかった。

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 9:50、オザミスの街の北側にある、オザミス・シテイ・インテグレィティッド・バス&ジプシー・ターミナルに入った。予想を上回るスピードでここまでやって来た。

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 10:10、バスは発車した。ここからフェリー乗り場に向かうはずである。


オザミス・フェリーターミナルで

 バスはオザミスの街なかを通過した。途中、大渋滞に引っ掛かった。

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 オザミスのフェリーターミナルに到着した。

 乗客はすぐに下ろされた。ディポログ・パブリック・トランスポート・ターミナルで支払った265ペソのなかに乗船料金と港湾使用料は含まれていなかった。2ヶ所で料金を払い、乗船名簿に記入した。列の流れに沿って手続きを行えば、フェリー乗り場である埠頭に出る仕組みになっている。

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 埠頭ではひとつ前のフェリーが出航しようとしていた。埠頭の後ろの広場に乗ってきたスーパー・ファイブ・バスが見えた。

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 フィリピンで、バスといっしょにフェリーに乗ったことが3回ある。

 マクタン島(セブ)からオランゴ島への航路では、乗客がバスに乗ったままフェリーに乗り込んだ。

 スリガオ(ミンダナオ島)・リロアン(レイテ島)間、アレン(サマール島)・マトノグ(ルソン島)間では、バスと人は分かれて乗船させられた。両区間ともに、チケットはバス会社が一括購入して乗客に配られた(別々に購入することもできる)。スリガオからリロアンに渡ったときは、私が先に徒歩で乗船し、乗っていたバスは全車両の最後の1台として船に乗り込んだ。このときは気が気ではなかった。リュックをバスのなかに置いていたからである。バスといっしょに行動できなかった場合、悲惨なことになる。自分が乗船したフェリーに、万が一バスが乗り込んでこなかった場合(そのフェリーの車搭載が満車で、1本あとのフェリーにバスが乗ってくる場合)、到着港でバスを待たなければならなくなる。1日4往復の航路では6時間待ちとなる。逆のケース(バスがフェリーで先に出てしまう)はまず考えられない。

 オザミス港でバスがフェリーに乗り込んだのを見ていた。そのフェリーに乗ればよい。ところが車両の搭載を終えたフェリーはすぐに出港していった。あっという間である。そのフェリーに乗る予定だった人たちは唖然とした。

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 私の乗る予定のフェリーは100mほど進んだ海上に停泊した。その横を通り、別のフェリーが入港してきた。さらに埠頭に停まっていたフェリーが出港していった。

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 2隻の出入港を見送った。そのあと私の乗る(バスを乗せた)フェリーが再度、埠頭に接岸した。ややこしい。この港では同じ埠頭のなかで、車の乗り入れする場所と客の乗り降りする場所とは異なるのである。

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 もどってきたフェリーにバスの乗客たちが乗り込んだ。

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 スーパー・ファイブ・バス/オザミス港 11:00 → ムカス港 11:15/料金45ペソ(乗船料金40ペソ+港湾使用料5ペソ)

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ムカスからイリガンまで

 深く切れ込んだパンギル湾の対岸は見えていた。瀬戸内海のような内海の雰囲気がある。フィリピンが経済発展すればこの湾に橋が架かるだろう。しかしここはフィリピンの巨大な辺境、ミンダナオ島である。そうなるまでに時間はかかるだろう。

 フェリーは15分ほどでムカス港に着いた。バスに乗車したのは、ムカス港に着く直前の、フェリーのなかである。乗客を乗せたスーパー・ファイブ・バスはフェリーを出て走り出した。

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 フィリピンの海を渡るバス旅は楽しいが、バスの乗降、フェリーの乗降、それぞれのチケットの購入などバス会社や港湾施設により異なるので気が抜けない。

 ムカス港を出たバスはすぐにムカス・インテグレィティッド・バスターミナルに入った。

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 スーパー・ファイブ・バス/ムカス・インテグレィティッド・バスターミナル 11:20頃 → イリガン・バス・ジプニー・ターミナル・サウスバウンド 13:10頃/ディポログからの料金265ペソ

 ムカス・インテグレィティッド・バスターミナルを出たバスは60㎞離れたイリガンをめざして快走した。

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 イリガンに着いた。早ければ14:30頃に着くだろうと思っていた。13:00過ぎの到着は上出来である。

 今日マラウィに行けるかもしれない。しかし今日行くとなれば、逆に時間は切迫してくる。


イリガンでホテル探し

 ジプニーで北に4㎞移動して、イリガン中心部で下車した。

 ジプニー/イリガン・バス・ジプニー・ターミナル・サウスバウンド 13:20頃 → イリガン中心部 13:30頃/料金8ペソ

 ブッキングドットコムでもっとも安い料金のホテルをグーグルマップのお気に入りとしてマーキングしていた。予約はしていなかった。その安いホテルを目指して歩きながら、途中にホテルがあれば交渉してみるつもりでいた。しかし歩く途中、1軒のホテルも見つけることもできなかった。

 結局、マーキングしていたコジィインにチェックインした。レセプションにいたのは若い姉と弟だった。慌てて掃除をして部屋を開けてくれた。チェックインした部屋は悪くなかった。建物は古びていたが、リゾート・テイストのホテルである。

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 すぐにホテルを出た。来た道と異なる道を歩いて、イリガンを南北に走る幹線道路に出た。

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 道路の反対側にチョーキンがあった。食べている時間はほとんどないのだが、あまりに腹が減っていた。シャンハイルンピア(揚げ春巻き)はおそらくチョーキンのメニューのなかでは一番うまい。注文から配膳までの時間はおそらく一番長い。

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 チョーキンの前からジプニーに乗った。

 ジプニー/イリガン中心部 14:30頃 → イリガン・バス・ジプニー・ターミナル・サウスバウンド 14:40頃/料金8ペソ

 ディポログからのバスが到着したイリガン・バス・ジプニー・ターミナル・サウスバウンドにもどってきた。


マラウィに向かう

 マラウィ行きのトランスポートは発車する直前だった。

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 再びイリガン・バス・ジプニー・ターミナル・サウスバウンドにもどってきたものの、乗車するかどうかを少し迷った。空は真っ黒になっており強い雨になることは確実である。傘を持っていない。当初の予定では、マラウィ行きは明日である。だから明日に行けばいい。

 ディポログから乗ったバスが予想を上回って早くイリガンに着いたことが予定の変更を可能にした。

 思い切ってマラウィ行きのトランスポートに乗ることした。

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「マラウィの戦い」について

 「マラウィの戦い」とは、南ラナオ州マラウィ市でのフィリピン軍とISIS関連の過激派組織との戦いを指す。戦闘は2017年5月23日から始まり、10月23日のフィリピン政府による終結宣言によって終わった。

 過激派組織とは、サラフィー・ジハード主義グループのマウテ・グループとアブ・サヤフを指す。

 マウテ・グループとはISISに忠誠を誓った、2016年のダバオ市爆破事件の実行犯として考えられている武装組織のことである。

 ISISの関連組織アブ・サヤフのリーダーのイスニロン・ハピロンが、マウテ・グループの過激派と会うためにマラウィに滞在しているという情報をフィリピン政府が掴んだ。

 武力衝突は、フィリピン軍と警察の合同チームがハピロンを確保しようとしたために起こった。ハピロン側が軍と警察に対し発砲を始め、マウテ・グループに増援を求めたときに激しい銃撃戦が起きた。

 マウテの過激派はキャンプ・ラナオを攻撃し、マラウィ市庁舎、ミンダナオ州立大学、病院及び市刑務所など都市の一部の建造物を占拠した。彼らはメインストリートを占領し、聖マリア教会、ニノイ・アキノ学校、ダンサラン・カレッジを放火した。またマラウィ大聖堂を攻撃し、神父と一部の教区民を人質に取った。

 テロリストの一部は外国人であり、フィリピンに長期間滞在してマラウィのマウテ・グループを支援していた。彼らの主目的は南ラナオ州議会議事堂にISISの旗を掲げ、ISISの領土を宣言することであった。

 一時期、マラウィ市民400~500人が戦闘地域に取り残された。脱出を試みた市民が処刑されたり、フィリピン軍の攻撃に対する「人間の盾」として使われ、強制労働に従事させられたりした。

 激しい戦闘の末、リーダーのオマル・マウテとハピロンが死亡した。フィリピンはハピロンとマウテ兄弟の制圧に、米国はイスニロン・ハピロンの拘束に報奨金を提示していた。

 戦闘が始まったとき、米国の支援を嫌ったドゥテルテ大統領がこの戦いを長引かせたといわれている。米国は直接軍事介入していないが、機関銃や手投げ弾発射装置など物資における支援だけでなく、過激派組織制圧のノウハウを提供した。それによりフィリピン政府軍は攻勢に転じた。

 モスル(イラク)におけるISIS制圧と同じ構図である。米国はテロ対策としての各国への軍事的支援の手法を整えたように思える。

 2017年10月17日にドゥテルテ大統領は、マラウィが解放されたと宣言した。10月23日には、マラウィでのテロリストとの戦いが終結したと発表された。

 「マラウィの戦い」による死亡者数などを記しておく。

 過激派  死亡者数974人 拘束者数   11人
 政府軍  死亡者数165人 行方不明者数 1人  負傷者数1,400人
 民間人  死亡者数 87人(うち40人は病気が原因)
 
 マラウィを占拠した過激派戦闘員にはサウジアラビア、インドネシア、マレーシア、イエメン、ロシアのチェチェンの出身者がいた。


日本人にとってのマラウィと「マラウィの戦い」

 日本人にとってイラクやシリアのISISは中東の遠い国の出来事である。ニュース番組で触れる機会はあっても、身近に感じることはない。それに比べれば、日本に滞在するフィリピン人が多く、在留邦人、日本人旅行者が増え経済協力を行っているフィリピンでの出来事のほうが日本人に取っつきやすいはずである。そうであるにもかかわらず、マラウィの報道はあまりに少なすぎた。マラウィを知っている日本人はほとんどいない。

 おそらくミンダナオ島のムスリムがフィリピン全体から切り離されているからである。ダバオを除くミンダナオ島は日本人にとって意識と知識の圏外であり、圧倒的多数のキリスト教系フィリピン人にとってもどこか遠い南の島の戦闘だったのである。多くのフィリピン人はミンダナオ島に行くなと言い、自分たちも行かない。

 そんななか、2017年に2回に分けて「マラウィの戦い」の特集を組んだ『報道特集』(TBSテレビ)はすばらしかった。これこそがジャーナリズムといっていい内容だった。マラウィに来てみようと思ったのはこの番組を見たからである。


マラウィに向かって

 トランスポート/イリガン・バス・ジプニー・ターミナル・サウスバウンド 15:00頃 → マラウィ 16:20頃/料金120ペソ

 イリガンを出たトランスポートは山の中に入った。すぐに雨が降り出した。

 道路は曲がりくねっていたが、道路状況に問題はなく、トランスポートはぐいぐい走った。

 空は真っ暗になり雷鳴が聞こえた。雨はどんどん強くなっているように思われた。

 豪雨のなかで見た途中の集落は小さく貧しかった。

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 チェックポイントは数ヶ所あった。チェックポイントはミンダナオ島にしかない。そのなかでもイリガン、マラウィ間のチェックポイントの多さは際立っていた。

 チェックポイントのなかの3つほどに駐留している警察官がいた。しかしトランスポートは停車することなく走ることができた。あまりの大雨が彼らに仕事をさせなかったのかもしれない。


トランスポートのなかで

 1時間20分ほど走ったトランスポートはマラウィの街に入った。

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 私はドライバー席の隣に座らされていた。定員が十数名の車内のほとんどはムスリムの女性だった。男は、ドライバー、私の横の男、私の3人だけだった。3人はドライバー席の横一列に座っていた。

 出発したときから車内は静まりかえっており、会話をする者はいなかった。車内は異様に重苦しかった。車内の空気を支配していたのはムスリムの女たちの沈黙である。

 雨が上がりつつあったマラウィの街の、スピードを落としたトランスポートのなかでドライバーは私に尋ねた。これが車内での最初の会話だったかもしれない。

 どこで下りたいのか?
 街の真ん中
 この辺りが真ん中だ マラウィのどこに行きたいのか?

 イリガンで動いていたグーグルマップのオフラインはマラウィではまったく役に立たなかった。地図は表示されていなかったが、画面には青いドット(位置情報)だけがあった。こうなっては誰かに尋ねてみるしかなかった。それは少なからず不謹慎なことと捉えられるかもしれなかった。第二次世界大戦の戦跡めぐりではない。戦闘の終結宣言が出てからまだ1年と11日しか経っていない。マラウィは民間人の死者が多数出た街である。

 戦闘で破壊されたところに行きたい そこにはたぶん橋がある 

 1年ほど前に見た『報道特集』の内容を詳しく覚えているわけではなかった。マラウィの戦闘のイメージだけは鮮烈に記憶されているが、場所を特定できそうな具体的な映像としては、記憶のなかの「橋」だけである。明日行けばいいと思っていたので情報を再度検索する時間はなかった。もっとも検索したからといって、行きたい場所は出てこないだろう。

 私が話したのは真横にいるドライバーにたいしてであるが、後部座席のムスリムの女たちから歓声のような声が上がった。「なぜ、そんなところに行くのか」という疑問と驚きの声である。1時間20分の重苦しかった緊張感は一気に溶けて、質問が相次いだ。

 どこから来た?  
 日本から?     
 なんでマラウィに?
 何しに? 仕事? 
 日本で何している? 
 ジャーナリスト?     
 ホテルに泊まるのか 紹介する ← すべてのホテル予約サイトにマラウィのホテル登録は1軒もない

 ムスリムの女たちの会話が始まった。

 戦闘のあった場所? 破壊された場所? どこだった? あなた知っている? あっちのほうよ

 おそらくそんな会話である。ここはムスリムのマラナオ人が多く住む地域で、話されているのはマラナオ語であると思われた。マラナオ語の話者は115万人である。

 トランスポートの向かう先は私の望む方向ではないようだ。ドライバーがいっしょに下りて、トライシクルを捕まえてくれた。

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 ドライバーから私を連れていく場所を聞き取ったトライシクルは私を乗せ、走り出した。たぶん「橋」のほうに行くのだろう。オフラインのグーグルマップはあいかわらず起動していない。

 トライシクル/マラウィ中心部 16:30頃 → (RAPITAN)橋 16:40頃/料金30ペソ


マラウィを歩いた

 雨が上がったマラウィのところどころに大きな水溜まりができていた。

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 橋を渡ったところでトライシクルを下ろされた。RAPITAN橋という名称らしい。橋の片方にチェックポイントがあった。警察が橋を管理していた。尋ねてみた。渡るのは自由だと言われた。

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 橋の真ん中でムスリムの女子高校生らしい数人が笑いながら自撮りをしていた。日本の女子高校生と何ら変わらない雰囲気だった。彼女たちが背景にしていたのは橋の反対側の坂の民家である。私の記憶では、そこは戦闘のあった場所であるように思えた。そうであるのなら、彼女たちが意図して戦闘のあった場所を背景に自撮りをしていたことになり、その気楽さは私と同程度である。

 『報道特集』を録画し何度か観ていれば、この橋が戦闘の場所であったかどうかの判別は付いたはずだが、そうしておかなかったことを後悔した。映像の記憶だけではどこをどう歩いてよいのかわからない。

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 仕方ない。適当に街を歩くことにした。

 RAPITAN橋を渡り、街の中心部に向けて歩いた。

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 マラウィ市庁舎に入れなかった。土曜日だから、というのが理由のようである。武装勢力に占拠されたところである。

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 キャンプ・ラナオという場所はどうやら軍事施設らしい。大体の場所はわかったが、そこにいたる道は封鎖されていた。

 マラウィは独特だった。

 マラウィの人口は13万人である。同じ程度の人口を抱えるフィリピンの街はもう少し骨格が太く、中心部の商業施設はもっと充実している。ジョリビー、マクドナルド、チョーキン、イナサル、ケンタッキー・フライド・チキン、ミスタードーナツ、マーキュリー・ドラッグなどのチェーン店は1店もなかった。これは珍しいことである。

 ※帰国したあと、写真をチェックするとミスタードーナツの看板があった。小さな店先でドーナツが販売されていたのだろう。イートインスペースのあるミスタードーナツは都市部にしかない。

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 ※4ヶ月後、旅日記をまとめようとしたとき、グーグルマップでinfiniteaを見つけた。これには驚いた。Infiniteaはフィリピンで最もお洒落な紅茶専門店である。

 Amai Pakpakメディカルセンターは他の病院より優れているらしい。

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 通りを歩いている人は多かったが、店のサイズはどこも小さかった。

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 街全体が暗かったが、夕方になってようやく店に電気が点き始めた。街の全域に電気の使用制限が設けられていると思われる。フィリピンの田舎で停電は珍しいことではないが、電気の使用時間が限られている地域を歩いたのは初めてである。

 フィリピン独特の底の抜けたような明るさはなかった。街全体が貧しいという印象は否めなかった。

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 夜が迫ってきた。街の北側にあるというマラウィ・シティ・インテグレィティッド・ターミナルをめざして歩いた。そこでイリガンへのトランスポートに乗る予定だったが、閉鎖されていた。

 ターミナル跡から800mほど離れた道沿いにイリガン行きのトランスポートが停まっていた。そこはさっき歩いた場所だった。トランスポートはなかなか満席にならず40分ほど待たされた。帰りの料金は高く設定されていた。

 トランスポート/マラウィ 18:50頃 → イリガン中心部 20:10頃/料金150ペソ

 マラウィを十分に歩いたとはいえなかった。消化不良である。

 ふと思った。マラウィに向かうトランスポートはムスリムの女性たちが埋めていた。もし彼女たちが下りるところまで乗っていき、いっしょに下りていたら、ムスリムの集落を覗くことができたかもしれない。

 7日前にモスル(イラク)、2日前にバシラン島に行けなかった。それを考えると、チェックポイントで止められず今日マラウィに行くことができたのは、失敗した2日に比べればましだったわけである。それだけが慰めである。


イリガンにもどってきた

 トランスポートはイリガン・バス・ジプニー・ターミナル・サウスバウンドで停車した。そのあとイリガンの中心部に向けて走ってくれたのはラッキーだった。イリガン中心部で下りることができた。

 イリガンの地元の食堂で夜ご飯。

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 夜のイリガンを歩いてみた。

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 路上の市場は夜も活気があったが、何も感じなかった。私の緊張感がマラウィで切れていたからである。

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30日目 2018年11月2日  サンボアンガ ディポログ

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ジプニーでサンボアンガ・インテグレィティッド・バスターミナルへ

 5:20、ウィンセルスイーツをチェックアウトした。外は暗かったが、ジプニーは走っていた。街は活動を始めていた。

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 ジプニーの出発場所がわからない。昨日サンボアンガ・インテグレィティッド・バスターミナルから乗ったジプニーを途中下車したので、バスターミナルに向かうジプニーの乗り場を知らない。サンボアンガは街のあちこちにジプニーの発着場所があるようで、探すのに手間取った。

 ジプニー乗り場を探しているとき、トライシクルのドライバーが「300ペソで行く」と寄ってきた。乗る気はなかったが、交渉してみると200ペソまで下がった。8㎞を乗った昨日のバイクタクシーの100ペソは安かったということかもしれない。

 ようやくサンボアンガ・インテグレィティッド・バスターミナル行きのジプニーを見つけた。満員になるまで20分待たされた。

 ジプニー/サンボアンガ中心部 6:00頃 → サンボアンガ・インテグレィティッド・バスターミナル 6:30頃/10ペソ

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 サンボアンガ・インテグレィティッド・バスターミナルに着いた。パスポートのチェックを受け建物に入り、施設使用料の15ペソを払った。


ミンダナオ島の、バス旅が始まった

 ディポログ行きは1時間に1本出ていることを昨日確認していた。発車間際のディポログ行きに飛び乗った。写真を撮ることも、何かを買うこともできなかった。ジプニーのなかで隣りに座っていた人もディポログ行きに乗った。
 
 Rural Transportは初めて乗るバスである。

 Rural Transportバス/サンボアンガ・インテグレィティッド・バスターミナル 6:40頃 → ディポログ 15:00予想/料金560ペソ

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 320㎞を走るバス旅の始まりだ。今までフィリピンのバスの悪口をいくつか書いてきたが、田舎を行くバス旅は楽しい。

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 7:30頃、バスは食事休憩のため止まった。Rural Transport 専用の食堂のようだ。朝ご飯の定食を食べた。

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 バスはココヤシの茂る森を抜けていった。
  
 9:10頃、トゥンカワン・バスターミナルに着いた。小さな町のバスターミナルである。

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 9:25頃、小さな集落のバスターミナルに着いた。
  
 サンボアンガから140kmほど走ったところでバスはイピルに入った。

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 9:50、イピル・バスターミナル到着。多くの人が乗ってきた。車内は満席となり立っている人も出てきた。

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 チェックポイントで警察官が乗り込んできて、IDをチェックしていった。他の島ではありえない。こうでなくてはミンダナオ島ではない。

 バスはイピルから北に走り、リロイ経由でディポログに向かう。イピルから東100㎞のところにあるのがバガディアンである。

 行き先をディポログにするかバガディアンにするかについては少し悩んだ。どちらのコースにどういう特徴があるかについてはわかるはずがなかった。日本人にとってミンダナオ島は未知の島であり、情報は少ない。時間を掛けた検索の末、たまに見つけたブログの、古く中途半端な情報に頼るしかないのである。この状況が近い将来改善されることはない。

 なんとなくディポログに行こうと決めただけである。

 11:40、リロイ・バスターミナルに停車した。車窓に見るリロイは賑やかだったが、街は大きくなかった。

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 フィリピンの田舎は活気がある。田舎を走るバスから、老若男女すべての世代が一生懸命働き、のんびり生活している様子を見ることができる。とくに子供が目立つ。日本の田舎のように失われていない。

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 リロイを出てから海が見えると期待していた。グーグルマップで見るかぎり道路は海沿いを走っている。しかし海が見えたのはところどころで、それはわずかな時間だった。下に海の写真が数枚あるのは、意識して海が見えたところを撮ったからである。

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 ココヤシの農園は見ごたえがあった。

 水田はところどころにあった。四季をつなぐ日本の田園風景とは異なる、変わらない熱帯の風景があるだけだ。収穫した米は道路上で干され、交通渋滞の要因にもなっている。

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 13:30、Sindangan・インテグレィティッド・バスターミナルに着いた。

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 Sindanganは小さな町だった。

 バスのなかが暑くなってきた。車内に温度計がある。出発時には21℃だったのが、最高で25℃になった。バス料金が高いのはエアコンバスだからである。エアコンバスのエアコンの意味するところは何なのだろう。

 14:55、Manukanバスターミナル到着。

 15:00過ぎ、デイポログ・パブリック・トランスポート・ターミナルに着いた。ディポログは北サンボアンガ州の州都である。

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ホテルを探して

 ディプログの到着時刻が読みにくかった。到着時間が早ければ、バスを乗り継いで、もう1つ2つ先の街への移動も考えていたが、ディプログで泊まることにした。

 フィリピンの地方の街にドミトリーはほとんどない。安い宿泊料金を求めてホテル予約サイトを検索する必要はあまりない。

 街の中心部まで遠くはない。ディポログ・サンボアンガ・ハイウェイを北に歩いた。

 10分ほど歩いて最初に見つけたのがGVホテルである。古いタイプのビジネスホテルのようだ。レセプション前の共有スペースは広かった。部屋を見せてもらい泊まることにした。

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ディポログを歩いた

 明日は早朝に出発したい。街を歩くのは今日の日が暮れるまで、ということになる。リュックを部屋に置き、すぐに外出した。

 GVホテルを出てディポログ・サンボアンガ・ハイウェイを北に歩いた。ショッピングモールやスーパーマーケットを過ぎた。ディポログ・サンボアンガ・ハイウェイ沿いの両側は2~4階の建物が続く、フィリピンの普通の通りである。

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 CALTEXというガソリンスタンドのある交差点辺りがディプログの中心だと思われる。

 さらに北に歩き、ディポログ・パブリック・マーケットに入った。「既視感」という言葉を使うのにフィリピンのマーケットは適してる。地方のマーケットはどこもそっくりである。

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 街の中心部を歩いてみた。ジョリビーがありマクドナルドがありマーキュリー・ドラッグがあった。

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 フィリピン最大のショッピングモールであるSMシテイに、マーキュリー・ドラッグは出店していない。両者の間に確執があるからである。靴の修理屋から事業をスタートしたSMグループの創業者ヘンリー・シーは当時のマーキュリー・ドラッグに開業場所から追い出されてしまった。その腹いせといっていいのだろう。フィリピン最大の流通企業となったSM・プライム・ホールディングスの総裁はマーキュリー・ドラッグをSMのテナントとして入居させることはなかった。

(後日付記)

 創業者ヘンリー・シーは2019年1月29日死去した。イメージはダイエーの創業者中内功とダブってしまう。フィリピンの長者番付トップとして、米国経済誌フォーブスの常連だった。


 街なかのどこを歩いても同じような雰囲気である。

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 海に向かって歩いた。

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 ビーチがあった。夕暮れの遊歩道を歩いている人たちがいた。

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 Infiniteaがあった。紅茶専門のお洒落なカフェである。トゥゲガラオで一度入ったことがある。

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 サンセット・グリルという店に入った。ポーク・シングはうまかった。シングは細かく切った肉を炒めたもの。

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 日が暮れるまで散歩した。

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 海岸の遊歩道沿いに店は少なかったが、内側に少し入ったところにはいくつかのレストランがあった。

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 GVホテルにもどった。部屋で使えなかったWifiに、レセプション前の共有スペースでつないだ。パソコンを開き明日の予定を考えた。ディポログより先のバス情報はなかった。

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 GVホテルで販売していたのは香港のビールだった。

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29日目 2018年11月1日  マニラ サンボアンガ

セブパシフィック航空国内線でサンボアンガへ

 ザ・ウィングス(カプセルホテル)をチェックアウトした。4階から3階に移動した。チェックアウトから3分でチェックインカウンターまで行ける。すばらしい。ドンムアン空港(バンコク)のアマリホテルに泊まって以来のことである。

 セブパシフィック航空の国内線に乗るのは4回目である。国際線の荷物制限は7kgだが、国内線は10㎏である。荷物に気を使うことなく乗ることができる。

 チェックインカウンターは荷物をドロップする客だけが対象のようだ。自動チェックイン機でチェックインした。

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 ターミナル3の国内線ゲート前は深夜も早朝もごった返していた。理由はその狭さにある。ゲートとゲートの間隔が狭く、待ち合いスペースも十分に確保されていない。椅子は常に満席で、誰かが立つと空いた席はすぐに別の人が埋める。立っている人はところどころで通路を塞いでいた。どこかのゲートで搭乗が始まったときだけそこに空間ができる。

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 国内線の(一部の)ゲートには出発便を表示する電光掲示板がない。出発便の板を表示することによって案内しているが、これが急な変更に対応できていなかった。出発ゲートが変更になった5J851便は、別の便が表示されたままになっている2つ隣のゲートからの出発になった。

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 なお2007年8月のスカルノ・ハッタ空港(ジャカルタ)の国内線には電光掲示板どころか板による案内もなかった。アナウンスを聞き漏らすと出発ゲートがどこなのかさえわからなかった。これは現在、改善されているかもしれない。

 セブパシフィック5J851/マニラ(T3) 5:35 → サンボアンガ 7:25 


私にとってのサンボアンガ

 2013年7月、船でスールー海峡を渡りサンボアンガに入るつもりでいた。そのためチェンナイ(インド)からクアラルンプル経由でサンダカン(ボルネオ島/マレーシア)に入った。そこで、週2便運航しているはずの国際航路の船が週1便になっていることを知った。サンダカンからサンボアンガに行くためだけにチェンナイから2本の飛行機を乗り継いだというのに。

 サンダカンで週1便の出航を待つことはできたが、入国先のフィリピンにビザなしで滞在できるのは当時21日間しかなかった。フィリピン入国後21日目の、マニラから東京までの飛行機の予約を済ませていた。船でフィリピン・サンボアンガに入った場合、フィリピンでの滞在日数が削られすぎる。そうしたくはなかったので、コタキナバルに移動し、ゼストエアのマニラ行きに乗った。そのあとルソン島北中部を周り、ミンダナオ島南東部のダバオに入った。サンボアンガに行く時間はなかった。

 そのときからサンボアンガは喉に刺さった棘のような街になった。


ミンダナオ島とサンボアンガ

 2013年の旅を終えた1ヶ月後の(2013年)9月に、イスラム武装勢力のモロ民族解放戦線(MNLF)が市民を人質に取りフィリピン治安部隊と衝突した。サンボアンガ空港は10日間閉鎖された。

 その3年前の2010年8月にはサンボアンガ空港で、利用者のバックパックが爆発した。2人が死亡し、スールー州知事を含む24人が負傷した。

 サンボアンガはフィリピンのなかで最も危険な街といわれている。本当に危険なのかどうかを知らないが、そういうことになっている。在留邦人はめったにサンボアンガには行かない。フィリピン人はサンボアンガには行くなと言う。

 「地球の歩き方」フィリピンに記載されているほとんどの地域、街に行った。そのなかでぽっかりと空いてしまったのがミンダナオ島の西部と北部である。サンボアンガは西部の中心都市である。

 ミンダナオ島のなかでも、ドゥテルテ大統領が州知事をやっていたダバオは比較的安全である。それでもダバオとジェネラル・サントスをバスで往復したとき、途中の道路にフィリピン警察のチェックポストがあった。チェックポイントはルソン島や他の島にはない。

 ミンダナオ島西部では共産主義の新人民軍とイスラム過激派という紛争地を抱えている。国民の93%がキリスト教徒であるフィリピンにおいて、ミンダナオ島はムスリムの人口が多い。

 最近、サンボアンガのいいところを発見した。2018年フィリピン大学ランキングの8位に私立サンボアンガ大学がランクインしていた。1位は国立フィリピン大学ディリマン校で、ベスト10のほとんどはマニラかマニラ近郊の大学が並んでいる。フィリピン人の多くが行こうとしない、ムスリムの街の大学の快挙である。


ミンダナオ空港から市内へ ウィンセルスイーツ(ホテル)にチェックイン

 サンボアンガ空港ビルの警備は厳重だったが、物々しさはなかった。8:00にテロを起こすヤツはいないだろう。

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 空港から市内に向かうバスはなかった。サンボアンガ空港から市内中心部まで3.5kmほどである。その気になれば歩くことのできる距離であるが、その気にはならないのは暑いからである。

 空港内のタクシーは200ペソだ250ペソだと言ってくる。空港の敷地を出たところにトライシクル軍団がいた。「あなたの移動、引き受けます」と顔に書いてあった。

 言い値はやや高いと思われるが、納得できる範囲である。軍団のなかの軟弱系ドライバーのトライシクルで、予約してあったウィンセルスイーツ(ホテル)に着いた。

 トライシクル/サンボアンガ空港 7:50 → ウィンセルスイーツ 8:05 /料金50ペソ

 チェックインできなかった。ウィンセルスイーツはサンボアンガ市内に2ヶ所(経営は同じ)あり、連れていかれたのは宿泊先でないウィンセルスイーツだった。もう1つのウィンセルスイーツに移動した。ホテルスタッフがいっしょに歩いてくれた。

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バシラン島とは

 サンボアンガが危険な街といわれていることはすでに書いたが、危険度はおそらく「それなりに」である。本当に危険なのは、ミンダナオ島とボルネオ島との間に位置するスールー海峡の島々である。サンボアンガから船で1時間の距離にあるバシラン島はその1つである。

 カダフィ・ジャンジャラーニはモロ民族解放戦線から分派してアブ・サヤフ(ASG)を結成した。その活動拠点の1つがバシラン島である。

 アブ・サヤフに資金援助をしたのはウサーマ・ビン・ラーディンである。この男(故人)の名前が登場した街、地域の危険度は一気に世界ランクの上位に入る。


バシラン島に行けるのか
 
 ウィンセルスイーツを出て港のほうに歩いてみた。

 魚市場に入った。貧弱な店構えの軒先で売られていたのは、甲羅が大きく足の短い蟹、色鮮やかな魚たちである。熱帯の海の産物なのだろう。

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 魚市場でバシラン島行きの船の乗り場を尋ねた。魚市場から150mほどのところに船のチケット売り場があった。

 船会社は4社ほどあった。バシラン島のイサベラ行きのチケットを売っていた。

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 サンダカン(マレーシア)行きのチケット売り場があった。

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 もっとも信頼できそうなのはAleson Shippingのようである。

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 自分を危険な状況に置かないで相手を攻撃する方法はアウトレイジからの「タッチ&ゴー」である。即ち「一撃離脱」。私の場合は「タッチ&リターン」。アブ・サヤフ最大の拠点であるかもしれないバシラン島での滞在を最小時間にして、サンボアンガにもどる。つまり「かなり危ない島=バシラン島」から「それなりに危ない街=サンボアンガ」にもどる。これをリスクマネジメントというのかどうか知らない。「五十歩百歩」という諺もある。

 チェックインしたウィンセルスイーツではバシラン島について尋ねなかった。質問した場合、「行くな」と言われるに決まっている。それを無視した場合で何かあった場合、ウィンセルスイーツは「暴挙?を止めた」ということになるだろう。

 Aleson Shippingのチケット窓口に並んだ。

 バシラン島まで チケット1枚
 IDを見せてください
 これです(パスポートを見せた)
 港湾警察でパーミットをもらってください ← いつからパーミットが必要になった???
 パーミット?
 これです(スタンプを見せてくれた)
 港湾警察はどこですか ← あと15分で出航時刻の9:00である 
 すぐ近くです

 慌てて港湾警察に向かった。そこは船乗り場の敷地内にあった。

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 以下は警察署のなかでの会話ではない。警察署の外でのやり取りである。警察官は5人おり、会話の相手はそのなかの上司らしき人である。

 バシラン島に行きたいのでパーミットをください 船のチケット売り場で言われました
 あなた1人ですか
 そうです
 バシラン島に行く目的は?
 観光です
 何の観光?
 島の観光
 フィリピン人の同伴者を付けてください
 私は旅行者です そういう人はいません
 バシラン島は危険です あなたの身に何か起こるかもしれない
 危険であることは知っています 島に宿泊しません 9:00の船でバシラン島に行き、14:00の船でサンボアンガにもどります 
 同伴者がいないと許可できない パーミットは出せない
 9:00に船が出るんです(9:30にも出航する船はあったが、それはAleson Shippingとは別の会社の船である) 早くしてください
 パスポートを預かります
 なんで

 話している最中に9:00になった。

 もう行かない(行けない) パスポートを返してくれ
 パスポートは預かる
 行かないと言っているんだから、パスポートをホールドする権利はない
 いや預かる 待っていろ

 こうしてバシラン島行きは頓挫した。

 私と話した上司風の警察官は意固地になっていた。そばにいた部下の4人は「14:00にもどると言っているんだから、行かせてやればいいじゃないか」という雰囲気だった。

 上司風の、わからず屋の唐変木は私のパスポートを持って警察署の建物のなかに消えた。唐変木の周りにいた部下たちは「ごめんね、せっかく来てくれたのにと」いう感じだった。

 コピーを取ったのだろう。アフガニスタンとかイランとかクルディスタンとかパキスタンのビザのコピーである。

 建物から出てきた上司風の男からパスポートが渡された。

 相手がこの男でなければ、バシラン島に行くことができていた。その思いは消えなかった。

 テロが起きていることは知っていた。3年と少し前に外国人が狙われた下の事件のインパクトは、私にとってはそれなりに大きかった。

 2015年9月、ミンダナオ島のダバオの沖にあるサマル島(サマール島ではない)で4人(カナダ人観光客2人とノルウェー人の施設支配人、フィリピン人女性各1人)が誘拐された。カナダ人男性の遺体の一部はスールー諸島のホロ島で発見された。ホロ島はバシラン島の南西にある島で、アブ・サヤフの活動エリアである。

 それまでフィリピンにおける誘拐は在留邦人を対象にしていた。旅行者は対象外である。理由は金銭目的の誘拐だからである。在留邦人の資産状況を調べ、対象邦人を特定して誘拐を実行する。誘拐後は身代金と交換に身柄を開放する。しかし上の事件は性質が違った。

 今年に入って2つの事件が起きている。

 半年前の2018年5月2日、フィリピン軍がバシラン島のスミシップでアブ・サヤフと戦闘になった。その戦闘でアブ・サヤフの戦闘員9人が殺害された。

 3ヶ月前の2018年7月31日にもバシラン島で車両爆弾テロ事件が起きた。

 バシラン島では上に挙げたようなテロが起きている。頻度は2018年の日本スポーツ界の不祥事の数ほどである。

 バシラン島から出てくる情報のすべてが「行くな」と語っていた。しかしこれはそもそもバシラン島に関する他の種類の情報がないからでもある。だから出てくる情報のほとんど全部がテロ関連になってしまう。


モスル、バシラン島で連敗したショックは大きい

 モスル(イラク)は安全である、と私は判断していた。元々戦闘は街の一部だったし、今は国連の治安部隊がいる。瓦礫のなかの遺体回収などはまだ継続されているようだが、戦闘は終了し、ISISはモスルを去った。モスルに1泊しても大丈夫だろうと踏んでいた。見どころがほとんどないエルビルのホテルに4泊の予約を入れたのはモスル行きを考えてのことだった。エルビルを拠点としたうえで、モスルに1泊した場合、エルビルのホテルとのニ重払いになってしまうが、それはそれで仕方がないと思っていた。モスルで写真を撮る私は、物見遊山の戦場「跡」カメラマンになるはずだった。

 それでも、5日前(10月27日)モスルに行けなかったときは、仕方ないという気持ちもあった。なんといっても、知名度抜群の、あのモスルである。フットボールのワールドカップで世界ランク1桁のベルギーに負けてもよく戦ったとなるのである。

 バシラン島での3時間半の滞在なら大丈夫だと判断していた。バシラン島への入島がここまで厳しいとは思わなかった。今年になって起きた2つの事件は警察を神経質にしたのだろう。バシラン島に入るのにパーミットが必要だというのは、このブログが最初の情報発信になるはずである。

 連敗である。世界ランク20位くらいのバシラン島で敗退したショックは大きかった。


バスターミナルを探して

 街歩きが楽しいかどうかは気分次第である。喪失感で色褪せてしまったサンボアンガを歩く気になれない。ジョリビーで朝ご飯にすることにした。ジョリビーを知らずにフィリピンを語ることはできない。
 
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 サンボアンガでやることはまだあった。バスターミナルの場所を確かめておくことである。

 グーグルマップに「ターミナル」と表示されている2つの場所に行ってみた。そこはジプニー乗り場だったり、ミニバス乗り場だったりした。

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 経済発展が途上にある国で頼れるのは整備され効率よく提供されるネットの情報ではない。そこら辺にいるあんちゃん、おばちゃん、お姉さんたちである。

 街に散っている旅人の味方は思わぬ方向に旅をぐいぐい引っ張ってくれる。

 3人目に尋ねたカップルは世界企業グーグルのインフォメーションの数倍の力を発揮してくれた。その場所はとても遠いので、一番安く行きたければ、バイクタクシーがいいと言い、彼らが集まっているガソリンスタンドに連れて行ってくれ、料金交渉をしてくれた。

 バリバリバリと爆音のするバイクタクシーにしがみ付いた。どこまで行くのか不安になってきた。バイクタクシーは市内を出ても、まだまだ走った。行き先が間違っているのではないかと思いながら乗っていた。バリバリバリ。

 それはサンボアンガ市内から東北8㎞のところにあった。こんな郊外にあるとは思わなかった。正式名はサンボアンガ・インテグレィティッド・バスターミナルである。

 バイクタクシー/サンボアンガ 11:00頃 → サンボアンガ・インテグレィティッド・バスターミナル 11:20頃/料金100ペソ

 私を下ろしたバイクタクシーはバリバリバリと去って行った。

 建物内に入るだけで施設使用料15ペソを取られた。明日のバスの時刻を確認した。フィリピンのバスターミナルの特徴は発着時刻が表示されていないことである。

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 サンボアンガ・インテグレィティッド・バスターミナルの前を走る幹線道路沿いに立った。10分ほど待って、市内に向かうジプニーに乗った。

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 ジプニー/サンボアンガ・インテグレィティッド・バスターミナル 12:00頃 →  サンボアンガ市内 12:30頃   /料金10ペソ

 バイクタクシーの10分の1の料金で市内にもどった。


サンボアンガを歩いた

 ジプニーは街の中心地に向かっているようだ。途中のヒラール砦にもっとも近くなったところで下車した。

 南東方向に10分ほど歩いた。

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 ヒラール砦が見えてきた。1635年に作られたものである。

 1521年のマゼランによるフィリピン到達以後、スペインがやってきた。マニラ陥落は1571年である。スペインによるフィリピンの植民地化は全島に及んだわけではない。ミンダナオ島のムスリムの抵抗はこの頃から始まっている。

 現在のヒラール砦はキリスト教徒の聖地にようになっており、多くの信者が訪れていた。

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 ヒラール峠の近くの海辺の公園で休憩した。公園のなかの店はすべて閉まっていた。それにしても今日は暑すぎる。

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 埠頭にはサンボアンガとバシラシ島を結ぶ船が停泊していた。

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 街をぶらぶら歩いた。

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 サンボアンガ市庁舎は古い建物である。なかに入ることはできなかった。昼休みだったからなのかもしれない。

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 街なかにジョリビーは5、6店あり、マクドナルドは2,、3店あるようだった。

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 2軒あったダンキンドーナツの1つに入った。

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 サンボアンガは明るい街である。街はきれいでゴミは落ちていない。治安が悪いとは感じなかった。

 ウィンセルスイーツにもどった。一昨夜は機内泊、昨夜はマニラ・ニノイアキノ空港のカプセルホテルに7.5時間いただけで十分な睡眠を取れていない。うとうと寝てしまった。

 夕方、ウィンセルスイーツを出て、チョーキン(Chowking/超群)に入った。一度食べたことあるチャイニーズスタイル・フライドチキンを注文した。

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 スーパーマーケットでサンミゲルと菓子を買ってきた。

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28日目 2018年10月31日  マニラ

ニノイアキノ空港ターミナル3

 セブパシフィック5J015/ドバイ(T1) 23:30 → マニラ(T3) +12:25

 セブパシフィック5J015便が着いたのはマニラ・ニノイアキノ空港のターミナル3である。入国審査には20分ほど時間がかかった。

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 ターミナル3を利用するのは2回目である。セブパシフィックの国内線でコロンに飛んだ2013年11月以来である。ターミナル3はニノイアキノ空港の4つのターミナルのなかで、商業施設がもっとも充実している。

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 まだ13:00である。市内に出ることはできるが、もどってくるのは面倒だ。明日5:35発のフィリピン国内線に乗る予定になっているので今日はターミナル3周辺で過ごす。

 2、3日前から靴の底がはがれそうになっていた。ペトラ遺跡(ヨルダン)やマサダ国立公園(イスラエル)の岩場を無造作に歩いたことが原因かもしれない。旅先で靴、サンダルを買い替えたことは4回ある。

 靴底は明日までもたないかもしれない。買うのならビーチサンダルにしたいが、成田空港から自宅まで電車で帰ることになる。そのときの体裁を考えないわけではない。結局、踵を固定できるサンダルを買った。空港内の店の品揃えは豊富ではなかった。明日サンボアンガの街でいろいろなデザインを見たとき、今日買ったサンダルを後悔するだろう。

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 履いていた靴をゴミ箱に捨てた。

  ターミナル3にはレストランがいくつもあり、食事をするのに困らないが、目立っているのはファストフード系のレストランである。フィリピンは食が豊かな国ではない。

 レストランに入った。

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 ターミナル3を端から端まで歩いたが、慣れてしまえば空港の商業施設は楽しくない。


リゾートワールドマニラ

 リゾートワールドマニラに行ってみる。

 ターミナル3の4階からランウェイ・マニラ・フットブリッジ(連絡通路)を歩いた。

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 ブリッジの途中でターミナル3の正面の様子や空港内の飛行機を見ることができる。少しの間、飛行機の離発着を見ていたが、座る場所がないので長居できない。

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 2017年6月2日の早朝、リゾートワールドマニラのカジノで男が乱射した。容疑者の男は遊戯用テーブルに火を放ち、スロットマシンなどに向けて発砲した。焼死による遺体は34体である。容疑者は人に向けて発砲はしなかったようである。容疑者は焼身自殺した。

 ランウェイ・マニラ・フットブリッジの空港側、ワールドリゾートマニラ側ともに警備員がいた。通路の両側で荷物をX線に通さなければならないので面倒だ。1年5ヶ月経っているが、事件と関係があるのかもしれない。

 この類の話はフィリピンのあちこちにあるので、気にし過ぎるとフィリピンのどこにも行けなくなる。

 ランウェイ・マニラ・フットブリッジからから1階に下りた。周辺にはホテルがいくつかあるが、どこにどのホテルがあるのかは地図を見ないとわかりにくい。HPによると、マリオット、マキシムズ、オークラ、シェラトン、ヒルトン、ベルモント、ホリデイインの7つのホテルがある。

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 2009年にオープンしたワールドリゾートマニラは、ホテル、カジノ、アートシアター、ショッピング街、レストラン街で構成されている。

 ホテルエリアのなかにあったスターバックスコーヒーに入った。まともなコーヒーを飲むのは久しぶりである。Wifiはなかったが、旅日記を書き進めることはできた。

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 カジノからショッピング街、レストラン街を歩いた。別棟にあるショッピング街、レストラン街も歩いてみたが、どこも同じような感じである。フィリピンのどこにでもあるモールの1つだった。

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 フィリピンはショッピングモール大国である。それは同時に個店の力が弱いことを意味している。


ザ・ウィングス(カプセルホテル)にチェックイン

 ターミナル1から徒歩15分のところにある安いホテル、民泊にそれぞれ泊まったことはあるが、今日はそこには行かない。

 ターミナル3の4階にカプセルホテルを見つけてあった。

 サ・ウィングスは2ヶ所に分かれていた。1つはマッサージなどを中心としたリラクゼーションの店である。カプセルホテルはマクドナルドの左手奥の静かな場所にあった。

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 パンフレットによると、ラウンジ、カプセル、ツインなど全部で5つのタイプの部屋があるようだ。

 7.5時間の利用で1,000ペソと決められている。延長できるかどうかを知らない。チェックインした時刻が入室の基準になるようで、例えば15:00にやってきて19:00からの予約だけをしていくことはできない。その間荷物を預かってもらうことはできるが、費用は発生する。19:00から宿泊したければ、その時間にチェックインしないといけない。

 サ・ウィングスに着いたのは17:30前だった。このときカプセルの空室は1室しかなかった。19:00からのチェックインにしたかったが、1時間半後にカプセルが空いている保障はない。仕方がないのでチェックインすることにした。チェックアウトタイムは自動的に(7.5時間後の)明日の1:00となった。

 シャワールームはイマイチだったが、全体的に清潔だった。シャンプー、リンス、歯磨きなどが用意されていた。コーヒー、スープ、シリアル、サンドイッチは自由に飲食してよい。

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 7.5時間は短かった。シャワーを浴びて、ネットにつないで、コーヒーを飲んだ。それだけで2時間半を費やしてしまった。そのあとぐっすり寝たとはいえなかった。

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27日目 2018年10月30日  エルビル  ドバイ

エルビル空港へのタクシー

 7:00ローガルホテルをチェックアウトした。

 ホテルの前でタクシーが待っていた。昨日タクシー乗り場で交渉しておいたタクシーである。7:00に来てもらうように手配しておいた。

 早朝ホテルから空港に向かう場合、前日の夕方にタクシーと交渉しておくことがある。ホテルに手配してもらうより安い料金で利用できるからである。

 4日前(10月26日)に乗った、空港からホテルまでのエアポートタクシーの固定料金は25,000IQD(20USD)だった。昨日交渉したときのタクシードライバーの言い値は15,000IQDだったが、交渉のあと12,000IQDになった。

 タクシーでエルビル空港に向かった。

 タクシー/ローガルホテル 7:00頃 → エルビル空港(MEET AND GREET) 7:20頃/料金(12,000IQD→)13,000IQD

 空港エリアに入ったところのチェックポイントで荷物のチェックがあった。タクシーの車体もチェックされた。

 ホテルから20分ほどで空港の手前にあるMEET AND GREETに着いた。

 下車時に12,000 IQDを渡した私に、ドライバーは金額が少ないと言った。15,000IQDを主張してきた。

 昨日の交渉で、私はホテルの名刺をメモ代わりとして使った。ドライバーが名刺に15,000IQD と書いたのを私が線で消し12,000 IQDと書き換えたうえで、これでどうかと念を押した。訂正した金額をドライバーは受け入れた(はずだった)。

 12,000 IQDに訂正してある名刺を私から見せられたドライバーは、昨日のことを思い出したようである。最後に決まった料金を認めた。これでぐうの音もでないはずである。ところが「早朝から待っていた」とか「次に空港から市内にもどるとき私を使ってくれ」(←もう一度エルビルに来ることはないだろう)といった理由が付け加えられ、また15,000IQDを要求し始めた。少しかわいそうになったので追加で1,000IQDを払った。ドライバーはまだ不服そうだったが、それ以上相手にする必要はなかった。


腐ったスタッフが2人いるエルビル空港

 送迎する人はMEET AND GREETまでしか来ることができない。保全検査を受けた搭乗者だけが空港施設に向かうことができる。

 保全検査でX線の画像チェックをしていた人が「マネー」と言った。最初、意味がわからなかった。リュックのなかにお金が入っているのかどうかを確認したいのだろうか。私が聞き返した直後、私のすぐ後ろにいた若いスタッフが小声で「無視していいから」と言った。賄賂の要求だった。まだこういうことが残っているのだ。空港で賄賂を要求されたのは初めてである。

 シャトルバスで空港のターミナルビルに移動した。

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 両替は閉まっていた。残っているイラクデイナールを使うためカフェに入った。注文カウンターに空港スタッフが並んでいた。私はその後ろについた。

 空港スタッフに渡された紙コップには、カップ容量の半分のエスプレッソが入っていた。空港スタッフはすかさず「満杯にしてくれ」と要求した。カフェのスタッフは返答した「シングルなので(それだけです)」。空港スタッフは主張を引っ込めるどころか、再度要求し、最終的に満杯になったエスプレッソを受け取った。追加料金を払わなかった。

 後ろで見ていた私は空港スタッフに聞こえるように舌打ちをしてやった。それに気づいた空港スタッフは振り返り、胸のバッジを私に見せびらかすようにした。空港内でのポジションが上位であることが外国人に通用すると思っている。さらに大きな音の舌打ちをしてやった。

 この空港のスタッフは腐っている。

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フライドバイでドバイへ

 フライドバイのカウンターでチェックインした。フライドバイには2014年に乗ったことがある。

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 フライドバイはUAEのLCCのくせに、アジアのLCCをまねて荷物制限が7㎏という舐めたまねをしている。同じUAEに本社を置くエアアラビアの荷物制限は欧州のLCCに合わせた10㎏となっており、ペガサスエアラインズ(トルコ本社)はアジアと欧州の間の8㎏というナイスな設定をしている。さすが文明の交差点トルコである。

 フライドバイは荷物の計量をしなかった。

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 フライドバイFZ202/エルビル 10:40 →  ドバイ(T2) 14:45

 空港の上空からエルビル城塞が見えた。

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 下の1枚はザグロス山脈(イラン)のようだ。雪を被っているのはザルド山(4,548m)かもしれない。

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 フライドバイの機内にはUSBによる充電とWifiの設備があったが、充電は不安定で、Wifiを利用するためには料金が必要だった。

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 搭乗率が10%程度のFZ202便は定刻にエルビルを出発し、少し早くドバイに着いた。


ドバイ空港でのターミナル移動

 滑走路上の機内からドバイの超高層ビル群が見えた。

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 空港のターミナルは3つある。ターミナル1とターミナル3はドバイ市内から鉄道で結ばれているが、LCC専用のターミナル2は孤立している。フライドバイはここをベースにしている。

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 2014年10月にドバイ市内から鉄道でターミナル1に着いた。そのあとタクシーでターミナル1からターミナル2に移動した。タクシーは一度空港の外に出てからターミナル2に向かうルートを走った。

 そういうことがあったので、2、3日前ネットで確認してみた。ターミナル間を移動するシャトルバスの情報があった。それは公式情報ではなく旅行者のブログのなかの記載だった。

 ターミナル2の出入口前には2、3台のバスが停まっていたが、いずれも市内バスだった。空港で働いていることを示す腕章をしている人たちに片端から尋ねた。全員、ターミナル1に行くバスはない、あるいは知らないと答えた。空港ビル内にもどったが、インフォメーションはなかった。もう一度外に出たとき、私が尋ねたのは空港全般のサービスを担当する人だった。その人は私を待たせ、オフィスに確認に行ってくれた。返ってきた答えは「タクシーでしか行けない」というものだった。

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 前述の、旅行者のブログの記載は何だったのだろう。ブログの管理人は「スタッフの指示するところに立っていたら、ターミナル間移動のバスが来て、乗り込んだ。場所はわからない」と書いてあった。一時期だけターミナル間のシャトルバスが動いていたが、そのあと廃止されたということは考えられる。

 2018年10月時点で、ターミナル1とターミナル2を結ぶシャトルバスはない。

 20台ほどのタクシーが客待ちをしていた。UAE通貨ディルハムに両替したくない私が、カード支払い可能なタクシーを見つけるのに苦労しなかった。

 タクシー/ドバイ空港・ターミナル2  15:20 → ドバイ空港・ターミナル1  15:40/料金41AED(1,252円)


乗り継ぎ時間の8時間を空港で過ごした

 ターミナル1は変わっていなかったが、要所要所に案内スタッフが立っており、迷っている客に声を掛けていた。サービス面で格段に進歩していた。

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 チェックインカウンターのあるフロアとその上のフロアをぶらぶら歩き、2つのカフェにコンセントがあることを確認した。それ以外には10ほどのコンセントを確認したが、そのうちの半分くらいは椅子との間に距離があり、事実上使えなかった。とりあえず1つのコンセントを確保した。

 一度カフェに入った。 

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 いよいよ中東を去ることになった。

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 セブパシフィック5J015/ドバイ(T1) 23:30 → マニラ(T3) +12:25

26日目 2018年10月29日  エルビル

4日目のエルビル

 この3日間朝ご飯のメニューはまったく同じだった。玉子料理(オムレツ、目玉焼き、ゆで卵)とパンだけだった。

 ベッドでゴロゴロしていたが、一日中ホテルにいるわけにはいかない。11:30頃外に出てみた。

 10月26日と27日は空気中に砂が舞い街全体が薄茶色だった。昨日は青空が見えていた。今日も晴れて空は青いが、昨日と同じではない。風が強く吹いており、ところどころで砂を舞いあげていた。

 ローガルホテル周辺は工事現場が多く、コンクリートを砕くドリル音がうるさい。砂埃がひどく、工事区間を通るときはマスクが必要なほどである。

 ダウンタウン・エルビルには入らずにそのままエルビル城塞に向けて歩いた。

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 エルビル城塞の下にチャイハネがある。店の名称はTea shop Machko。素晴らしいのは外観だけではなかった。

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 内装は古いだけでなく歴史を感じさせた。金を掛けてレトロにしたのではなく、昔、金を掛けて作ったものが年輪を重ね今日に至った。Machkoのレトロ感は自然発生的なものである。真のオールドファッション。

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 広い店内の2、3の席で男たちがバックギャモンをやっていた。

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 店のなかでは少年が注文を取っていた。チャイを持ってきてもらった。

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 チャイハネでパソコンを開いても場の雰囲気にそぐわない。本でも持ってくればよかった。

 外に出た。上の階にもカフェがあったので覗いてみた。レストランだった。
 
 ダウンタウン・エルビル(ショッピングモール)に入った。モールのなかを歩くのは3回目である。これまでは出口付近で折り返していたが、今日は通り抜けてみた。反対側の出口の前を走っていたのは、内側から2本目の環状道路である。

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 エルビルはエルビル城塞を中心に円形に広がった街である。道路は城塞を中心に放射状に延びており、それをつなぐ環状道路が何本かある。東京に例えると、中心部の都営大江戸線から外にJR山手線、環状7号線、環状8号線、南武線+武蔵野線といった具合に展開している環状交通である。

 宿泊しているローガルホテルの前を走るクディスタン(下の1枚)は内側から数えて3本目の、10月27日に行ったファミリーモールの前を走る8車線道路Peshawa Qaziは4本目の環状道路である。

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 内側から2本目の環状道路を少し歩き、マーケットに入った。ここは2日前(10月28日)にも歩いている。マーケットは今日も活気を見せていた。このマーケットのいいところは観光地化していないところである。野菜、肉、魚、衣類、雑貨、さまざまなものが売られている。

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 この前気づかなかったモスクがあった。

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 食堂でサンドイッチを食べた。歩道のテント下の椅子席でチャイを飲んだ。

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 ぶらぶらと菓子店などを覗いた。

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 午後も風は強く、巻き上げられた砂が目に入るのでときどき下を向いて歩いていた。早々とローガルホテルにもどることにした。

 ホテルの部屋に3時間ほど引きこもった。

 今日の夜ご飯もホテルの近くの屋台街で。

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(参考)ワラビスタン、それは日本にあるクルディスタン

 日本に住んでいるクルド人は約2,000人(2016年)である。そのうち1,200~1,300人が蕨市と川口市(ともに埼玉県)に住んでいるといわれている。

 帰国後の2018年11月24日、友人たちと蕨、西川口を歩いた。中国料理店が新しくできている西川口を含めクルド人が住んでいるエリアは「ワラビスタン」と呼ばれている。

 1990年代初頭に蕨駅周辺に住み始めたクルド人が家族や血縁関係のある人を呼び寄せた。それが「ワラビスタン」の始まりである。

 クルド人コミュニティでは、クルド人の新年祭「ネウロズ」が開かれている。新年を祝うのは日本や他の国と同じだが、「抑圧からの抵抗と自由」を祝うのは「国家を持たない最大の民族」クルド人ならではかもしれない。

 「ワラビスタン」に住んでいるのはトルコ系クルド人である。伝統的な友好国である日本に入国する場合、トルコ人は日本のビザを必要としない。それを利用してトルコ系クルド人は日本にやって来て住みついた。現在、彼らのほとんどは日本の入国管理局に難民申請をしている。

 一方、トルコ政府は自国内のクルド人を迫害しているとは認めていない。トルコとの友好関係を維持するため日本政府は蕨、川口に住むクルド人に難民であるとは認定していない。

 日本の入管難民法違反容疑で逮捕したクルド人8人がクルディスタン労働党(PKK)の支援者であったことがある。米国、EUはPKKをテロ組織であると認定し、ロシア、インド、中国、スイスなどはテロ組織としていない。警視庁公安部はこのとき逮捕したクルド人8人がテロ活動を支援したとみていたが、十分な証拠が見つからなかった。このうちの数人は不法滞在として強制送還とされた。

 日本で不法滞在となっても、ニュージーランド、カナダなどへの難民申請を受け入れられた場合は、それらの国移住することができる。

 蕨駅周辺に2、3軒のトルコ(クルド)料理店がある。実際に歩いてみると、ときおりクルド人を見かけることになる。

 日本国内に一般社団法人日本クルド友好協会、日本クルド友好議員連盟(超党派の国会議員の集まり)、日本クルド学生連盟がある。

(参考)首都圏まちカタログ よりみち・うらみち まち探検隊 / 蕨

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